グノーシス主義基本用語集
Gnostic Terms and Concepts

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[G]=ギリシア語, [L]=ラテン語, [E]=英語, [F]=フランス語,

[D]=ドイツ語, [H]=ヘブライ語, [S]=セム語一般

その他、記号説明



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[A]

  アイオーン [G] aionαιων, aioon, [αιFων, aiwoon], ho, hee [poet]), [L] aeon, m, [D] Äon, der (エオーン), [E] aeon, ギリシア語の原義は、「期間」「或る時代」等。プラトーンは「永遠」の意味で用いる。神的な原理・世界・圏域の意味と、超越的な神格・霊格の意味などがある。グノーシス主義では、両義的な意味を持つ。高次のアイオーンは、「真の神・真実の圏域」であり、世界創造者としてのデーミウルゴスや、その配下の天使・アルコーンたちと対立する。しかし、高位のアルコーン、例えばプロートアルコーン(デーミウルゴス)やアブラクサスなどは低次アイオーンとも見做せる。固有名として、ギリシア神話に「アイオーン」と云う神がいる。獅子の頭に有翼、人間の身体を持ち、蛇を身体に巻き付けた姿の像などが残っているが、これはギリシア宗教のアイオーンではなく、ミトラス教の「時間の神」としてのアイオーンの像である。(画像右:有翼・獅子頭・蛇を身体に巻いたアイオーンまたはズルワーン神の立像)

  惡(あく) [G] kakonκακον, ton), 「善」の対語、反対語。→〈善と悪〉。

  アブラクサス [G] abraxas’Αβραξας, Abraksas, ho), [L] Abraxas, m, [D] Abraxas, der (アブラクサ ス・アプラクサス), [E] Abraxas, アブラクサス以外に、「アブラサクス(Abrasaks, Abrasax)」、「アブラクシス(Abraksis, Abraxis)」とも呼称される。二世紀初葉、アレクサンドリアで教説したとい われる、初期グノーシス主義の宣明者、バシレイデース(Βασλειδης, ho, Basileidees)の創造神話に登場するアルコーンの名前。ヒッポリュトスの『全異端反駁』において報告されている処によれば、バシレイデースの宇宙創造神話においては、「汎種子 pansperma」と呼ばれる独特の概念が現れる。しかしその体系においても、「宇宙」と「超宇宙」の分断が起こり、「宇宙」に取り残された愚かな支配者は、自己を至高者と錯誤し、世界創造の業に着手するが、まず最初に、息子を創造した。この者は、自称至高者よりも遙かに優れ、叡智と美を備えていたので、至高支配者は喜びに満たされ、彼を自分の右手に座らせた。この「座=場」を、バシレイデース派では、「オグドアス」と呼んだ。
  このオグドアスの場には、無量無数の事物や生き物が生成され、そこに、365の天があったとされる。そして、これらすべてを支配するのが、至高支配者のかの聡明な息子であり、彼は、365天の支配者として、その数字の名前を持っており、「アブラサクス」と呼ばれた。……ギリシア語は、他の多くの古代語同様、「文字数字」システムを備えており、アブラサクス(Αβρασαξ)を構成す る七つの文字(つまり、α, α, α, β, ξ, ρ, σ)の数を合計すると365となるのである……。アブラサクスは奇妙な姿をしていた(頭は鶏、両脚は蛇で、胴体は人間、そして両手に楯と鞭を持っている)。彼は、ユダヤ神秘主義思想のカッバラーに取り入れられ、諸至高霊=アイオーンたちの王とされた。また、「abracadabra」と云う呪文は、アブラサクスの名より派生したとも云われている。アブラクサスの名は、宝石や石などに刻まれていることが多く、そのような石を「アブラクサス石」とも称し、それらは、護符・魔除け・まじない等の目的で使用された。参照 : →〈アブラクサス・アイオーン詳細説明

  アルコーン [G] archonαρχων, arkhoon, ho), [E] archon, [D] Archon, der (アルヒォーン), ギリシア語で、「支配者・統治者」の意味。(古代ギリシアのポリスにおいては、例えば、アテーナイがその例であるが、arkhon は官職名で、通常「執政官」とも訳される)。グノーシス主義では、下級世界の偽の神の別称、天使として一般に描かれる。「此の世界=宇宙」を創造したのは、彼らであるとされる。「第一のアルコーン(プロートアルコーン)」と云う時は、宇宙創造者として一柱の「偽の神」を前提にしている。その他のアルコーンは、一般的に、この第一のアルコーンの創造になる。第一のアルコーンは、デーミウルゴス(造物主)とも呼ばれ、また、「ヤルダバオート」と云う固有名でも呼ばれる。アルコンテスは、アルコーンの複数形。
  参照 : →〈アルコンテス

  アルコンテス [G] archontesαρχοντες, arkhontes, hoi), ギリシア語で、「支配者たち」の意味。アルコーンの複数主格形。→〈アルコーン〉。
  アルコンテスについては、「グノーシス主義異端反駁者たち」の報告及び、『ナグ・ハマディ写本』の複数の文書において、様々な名称と属性のものが述べられている。大約、基本的な構成では、デーミウルゴスである「第一のアルコーン(プロートアルコーン Prooto'arkhoon, ho)」の下に、彼の息子、或いは彼が創造した、七体のアルコーンたちがいるとされる。これを、「ヘプドマス(七組系)」とも呼ぶが、こう呼ぶ時、アルコーンによる人間の創造の神話と密接な連関を持つことになる。(ヤルダバオートの母で、中間世界におけるアイオーン・ソピアーの似像・影像(エイコーン)であるアカモートは、或るグノーシス主義神話(e.g. ナグ・ハマディ文書『この世の起源について』)では、「ピスティス・ソピアー Pistis Sophiaa」とも呼ばれ、このピスティスは、七体のアルコーンたちがヘプドマスと呼ばれるに対し、「オグドアス」と呼ばれる。これはプトレマイオス派におけるオグドアス・プレーローマの「オグドアス」とは、また異なるが、神話構成上の意味からすれば、同質のものだとも云える)。
  第一のアルコーン=ヤルダバオートは、プレーローマの至高アイオーンたちと同様に、両性具有でもあったが、彼の支配下にあるアルコーンたち、特にヘプドマス・アルコーンたちも両性具有であったと云われる。『ヨハネのアポクリュフォン』(『ベルリン写本』所収の版による。『ナグ・ハマディ写本 II-1』では、アルコーンの名称に違いがある。また360人のアルコーンは、「NH-II-1」では、365人である)によれば、七体の権力アルコーンたちの名は、1)ヤオート (女性的勢力名=プロノイア)、2)エローアイオス(以下同=神性)、3)アスタファイオス(善)、4)ヤオー(火)、5)サバオート(王国)、6)アドーニ(理解)、7)サバタイオス(智慧)であった。これらの七体の権力アルコーンは、古代宇宙論における、七つの「天球」に対応するとも云え、これらの天球の上に、恒星天球における支配者であるヤルダバオートが君臨している。また、黄道十二宮(獣帯)に対応して、十二体のアルコーンがいるともされ、更に、ヤルダバオートの下に、360人の天使=アルコーンが存在するともされる。ヤルダバオート及び七体のアルコーンと共に、彼らは、人間の心魂や肉体を分担して創造しようと不完全ながら試み、この時、「霊の光」が人間の内奥に、上天の秩序より挿入されたと云う説がある(ヘレニク・グノーシス主義における、中間世界での諸天使=アルコンテンスの展開と、地上世界での人間の魂の運命、その救済の過程問題において、これらヘプドマス・アルコンテスは密接に関係してくる)。

  アンドロギュノス [G] androgynosανδρογυνος, androgynos, ho, | as Adj. common to men/women), [D] Androgyn, der (アンドロギューン), Androgynie, die (アンドロギュニー), [E] androgyne, 名詞兼形容詞。「両性具有」と云う意味。「両性具有者」と「両性具有様態」の二つの意味を持つ。→〈両性具有〉。

  宇宙 [G] cosmosκοσμος, kosmos, ho), [L] cosmos, n, mundus, m, [E] cosmos, [D] Welt, die (ヴェルト), Kosmos, der (コスモス), [F] cosmos, le, monde, le, コスモス、また「この世」とも云う。デーミウルゴスが創造したとされる世界で、不完全であり、悪が充満している「暗黒」の世界。ヘレニク時代の宇宙観での「宇宙」に対応する。つまり、人間や動物・植物が存在する地上世界と、星辰があり、暗闇の空間がある天界の両方を含む。古代ギリシア哲学では、天界には、「ヌース」と呼ばれる永遠的宇宙霊が存在し、それが、個々の星辰であると考えたが、グノーシス主義では、星辰には確かに「霊」が存在するが、それは「完全な宇宙霊=ヌース nous」ではなく、低次アイオーンであり、アルコーンと呼ばれる「下級天使」の霊が存在すると考えられた。或いは、星辰そのものがアルコーンとも見なされた。「宇宙」は、救済の存在する、人間の霊の本来的故郷の世界である圏域、例えば、光明と善の充満である「プレーローマ超宇宙神界」や「オグドアス神界」と対立し、グノーシス主義の「反宇宙的二元論」を構成する。
  ギリシア語のコスモス κοσμος は、元々「秩序・整序」と云う原義があり、ここから一般的な用法として「装飾品」、「女性の衣装・ドレス」などの普通名詞としての意味が出て来ており、髪や部屋を装飾するものとしての「花」もコスモスであり、特定の花の種類が、「コスモス」の名で呼ばれることになった。kosmos が「宇宙」となるのは、ギリシア古典哲学的な思考で、「完全な秩序」の具現こそが世界であり「この宇宙」であると考えたからである。プラトーンは、kosmos をこのような意味に使った。また、このような意味においてラテン語の mundus の同義語となる。グノーシス主義では、まさに、この「宇宙秩序」こそが「暗黒と悪の偽の秩序」である訳 で、古典ギリシア的秩序宇宙の「秩序」が、闇に反転した結果である。古典的価値観や世界観・神観の反転もまた同時に起こったのであり、これが「反宇宙的二元論」の意味でもあった。
  ……「宇宙」とは、「秩序のトポス=場」或いは、「秩序のアイオーン=圏域」と云うのが原義であり、「秩序性」で規定されている。それに対し、人間が住む・生きるトポスとしての「世界」は、「家」や「家族」を意味する言葉から造られた oikoumenee, hee (οικουμενη,オイクーメネー)がある。これは「人が住む世界」の意味である。コスモスは、神霊=ダイモーンやヌースや神々が住む世界をも含んでいる。現象的には、悲惨で闇に満ちてい ると感じられるのは、「人が住む世界=オイクーメネー」のはずであるが、ヘレニク・グノーシス主義は、「地上の悪・暗黒」を、天界・神界に投影したのだと云える。

  オグドアス [G] ogdoasΟγδοας, Ogdoaas, hee), [L] Ogdoas, [E] Ogdoad, オグドアスとは、ギリシア語で、「八個のもの」或いは「八組体」、また「八番目」の意味である。プトレマイオス派を代表として(または、ヴァレンティノス派一般において)、プレーローマのコア圏域とされる。
  プトレマイオス派の創造神話に従えば、原初、あらゆる認識を越えた、完全なる至高アイオーンのビュトス(深淵)、別名プロパテール/プロパトール(原父,先在の父)が存在した。プロパテールは榮光の原理であり知られざるアイオーンであった。プロパテールの本質よりして、存在の「流出」が起こる。それは最初、「種子」として彼の伴侶たる女性至高アイオーンのシーゲー(沈黙・静寂)別名エンノイア(思考)に置かれ、彼女を通じて、第三アイオーンのヌース(理性)別名モノゲネース(独り子)或いは「万物の父」が生み出された。
またヌースと共に、対となる女性アイオーンのアレーテイア(真理)が生み出された。こうして、原初の「テトラクテュス(四つのもの)」が生まれた。ヌースは、その父にもっとも近く、父なるプロパテールの知られざる本質を彼のみは理解できたとされる。このテトラクテュスより、更に、それぞれ対になる、四つの至高アイオーン、即ち、ロゴス(言葉)とゾーエー(生命)の対、そしてアントローポス(人間)とエクレーシア(教会)の対が生み出され、流出した。こうして八つの至高アイオーンが原初存在したのであり、これを「オグドアス」と呼ぶ。
オグドアスは真の存在の栄光に充ち満ちており、それ故、「プレーローマ(充満)」と呼ばれた。八個の至高原理たるアイオーンは、それぞれ男性アイオーンと女性アイオーンの対になっており、それらは「両性具有(アンドロギュノス,ανδρογυνος, androgynos, ho)」であり、完全な存在であったとされる(ただし、以上の概説説明は、エイレナイオスの報告によるもので、ヒッポリュトスは、これとは幾分異なる、先在の父=ビュトスからのプレーローマの流出過程を報告しており、その報告においては、「オグドアス」は成立しないことになる。
  参照 : →〈テトラクテュス〉, 〈オグドアス・プレーローマ構成表


オグドアス・プレーローマの概念的モデル図


説明 : オグドアス・プレーローマの概念模式図において、暗黒(黒)で塗られている領域は、空間的な領域として存在しているのではない。これは、概念を図的にモデル化するために、このような「暗黒の領域」を描いているので、実際には、ここに描かれているような暗黒の領域は存在しない。この暗黒領域は、「無」を示している。無のなかに、青菫色の円で示されているプレーローマ(永遠充満界)があり、その中心に幾らか赤みがかった紫色の領域として、「オグドアス」が存在する。「存在の連関」は、無の空間を通過する、一本の白い線で示される。この連関線は、色の濃さに濃淡があり、存在性の希薄性と濃密性の区別がある。
オグドアスの八個のアイオーンについては、位階的に、このような形に描き配置するのが適切であろうと、私たちは考える。プロパトールは仮幻としてオグドアスを構成しており、その実質存在は、無の彼方の上空に存在すると想定される。このような存在と無、アイオーンと霊的階梯の構成の意味については、より詳細な説明あるいは解釈が必要である。ここに示した図は、その一つの解釈(ドイトゥング)としてある。
また、プロパトールとその伴侶エンノイアは、ビュトス(深淵)とシーゲー(静寂)とも呼ばれ、これらは原初的自然神格の位相を持つが、文化を超越した自己生成としての「存在の立ち昇り」を象徴しているとも言える。上位のテトラクテュスは、父なる靈、母なる霊と、子なる霊(ヌース)、そして両性具有の「真理の翼」の霊において、四位一体性を構成している。
父なるビュトスの右にあるのは、母なるシーゲーである。存在の流出は、左より右に起こるとすれば、「プロパトール→ヌース」と、存在流出があり、それと鏡像的に、「シーゲー→アレーテイアー」へと更なる存在流出が起こる。


[K]

  救済者(救世者) [G] soterσωτηρ, sooteer, ho), [L] salvator, m,salvatrix, f, [D] Salvator, der (ザルヴァートル), [E] saviour, [F] salvateur, le,salvatrice, la, グノーシス主義では、人間の魂は永遠なる「霊」をその裡に秘めるのであり、永遠の世界より落下して地上の「悪の世界=此の世」に居住する定めとなったものである。人間は「本来的故郷・本来的永遠超宇宙」或いは「本来的な真の自己」について「無知」な状態にある。このような人間に、宇宙と永遠世界についての「真実」を開示し、智慧(グノーシス)を伝えて、永遠の故郷へと魂が帰還する契機として、永遠界より地上に訪れる存在が、「ソーテール=救済者 sooteer」である。
  グノーシスの教師たちは、「真実開示者」として、また「救済者」とも云えるが、永遠界より派遣されて地上に訪れる救済者は、高次の霊・アイオーンであり、それは例えば、キリスト教的グノーシス主義の多くの派では、イエズス・キリストがそうであるとされ、『ナグ・ハマディ写本』中の『アダムの黙示録』に登場するポーステール(phoosteer,フォーステール,光り輝く者)と呼ばれる霊などがそうである。また、アイオーン・ソピアーは、人間の地上への落下と、救済そして永遠界への帰還のプロセスの象徴的存在でもあるが、また救済者の役割も持っており、或いは、バルベロ・グノーシス派の至高処女霊「バルベロ」も、救済者と考えられる。グノーシス主義の原型においては、救済者は、「女性的霊」であったと考えられ、イエズスなどの「男性的霊」が救済者の位置に交代したのだともされる。

  グノーシス主義 [G] gnosisγνωσις, gnoosis, hee), [L] gnosis,f, [D] Gnostizisumus, der (グノースティツィズムス), [E] Gnosticism, [F] Gnosticisme, le, 「グノーシス主義」についての包括的説明は、現在、未起草。なお古代においては、「叡智・知識・覚醒」と云うグノーシス主義における中心理念を表現する言葉と、この理念または実存要素を中核とする「現存在姿勢」における「思想・教え」である「グノーシス主義」または「グノーシス宗教」を表現する言葉は、同じ「gnosis(グノーシス)」と云う言葉であった。「グノーシス(γνωσις)」と言う言葉は、「智慧・知識・気づき・自覚」と云う意味と、「グノーシス主義思想・宗教」の両方の意味を持っていたのである。
  参照 : →〈ヘレニク・グノーシス主義

  グノーシス主義異端反駁者 [L] Adversi Haeresium Gnosticorum, [G] (mra, ‘Αιρεσιμαχοι ’αντι Γνωστικων, Hairesimakhoi anti Gnoostikoon, hoi), [E] Heresimachs against Gnosticism, 紀元一世紀より三世紀乃至四世紀頃まで地中海世界で流布した「ヘレニク・グノーシス主義」については、『ナグ・ハマディ写本』の発見までは、主として、キリスト教護教家であり、「異端」に対し反駁書を記した「異端反駁者」と通称できる人たちの著作に記されている「グノーシス主義異端」の教義概説、また反駁のための資料として彼らが引用したグノーシス主義教義書の記述などを通じて辛うじて窺える状態であった。これらの「異端反駁者たち」は、代表的には三人の人物が知られている。
  西暦二世紀のルグドゥヌム(リヨン)司教エイレナイオス Eirenaios(Ειρηναιος, Eireenaios, c.126−202)、三世紀のローマ人司祭ヒッポリュトス Hippolytos(‘Ιππολυτος, Hippolytos, late 3rd c.)、四世紀のサラミス司教エピファニオス(Επιφανιος, Epiphanios, von Salamis)である。エイレナイオスは、グノーシス主義の教義の異端性を主として論じる浩瀚な書物『偽りのグノーシスの告発と反駁 Adversus Haereses(反異端論・異端反駁)』を記し、ヒッポリュトスは、『全異端反駁 Reftatio Omnium Haeresium』を著したが、両名の著作は共に、「異端論駁」と称しつつ、その取り上げる異 端は、殆どがグノーシス主義教義であった。エピファニオスは『パナリオン(薬籠) Paanarion, to』を著したが、そこでは80種の異端に言及しているとされる。
  (エイレナイオスはギリシア語で反駁書を記したが、原書は散逸し、そのラテン語訳が伝わっている。エピファニオスの『パナリオン』は、「麺麭籠」と云う意味だと思うが、異端と云う毒蛇の毒に対抗するための書物であるので「薬籠」だと云うと、そのようにも思える。以下に、バシレイデースの教説をめぐる、彼らの報告の食い違いを述べているが、異端反駁者たちの報告は、形式的な面では、かなりな恣意性と誇張、作為性が確認される。 エピファニオスの80種の異端は、明らかに誇張であるし、エイレナイオスが「オピス(蛇)派」と呼んでいる教派は、この教派の人たちが自分たちでそう呼んでいたのではなく、エイレナイオスが恣意的にそう名付けたのである。ヒッポリュトスの報告で「ナハシュ(蛇)派」と呼ばれている教派は、エイレナイオスのオピス派と同じものではないかと云われている。オピス(オフィス)はギリシア語の、ナハシュはヘブライ語の「蛇」で、アダムとヘーヴァを誘惑したとされる「蛇」に肯定的価値を付与する教義を持って いたので、こう名付けたと考えられている)。
  「グノーシス主義の起源」問題について、伝統的には二つの解釈が行われていたが、エイレナイオスとヒッポリュトスは、この二つの立場を代表しているとも云える。即ち、前者は、「聖書」の「誤った解釈」よりグノーシス主義が派生したとしたのに対し、後者は、「ギリシア哲学・プラトン哲学」等の影響を受けたシンクレティズム思想がグノーシス主義であると主張した。
  これらの異端論駁者たちの著作に描かれるグノーシス主義の姿について、どこまで正確に往古のありようを報告しているのか疑問であったが、今日では、彼らが引用し記述し、論駁したグノーシス主義の「教義」については(論駁者自身、内容をよく理解していないため、批判が的外れであったり、論述・説明自体に矛盾があったり、何を述べているのか 理解できない部分も多々あるとはいえ)、概ね妥当であると考えられる(ただし、かなりに歪曲されている部分があり、また、異なる反駁論者の報告のあいだで、違った形に説明されているものがある。例えば、「バシリデス(バシレイデース)」の教説について、エイレナイオスとヒッポリュトスの報告する処はかなりに差異がある。ヒッポリュトスは、バシリデスの教説として、シリア・エジプト型グノーシス主義の通常の範型をかなり逸脱した創造神話を報告している)。だが、彼らが同時に言及していたグノーシス主義者の生 活態度や倫理意識や言動などについては、誹謗中傷乃至ディグレード目的の捏造による根拠のない非難であるとされている(例えば、グノーシス主義者の「Libertinismus(放縦主義)」と呼ばれて来たものは、『ナグ・ハマディ写本』の文書からは確認されない。寧ろ、マニ教同様、厳格な「禁欲主義」的傾向がそれらからは窺える)。とはいえ、彼ら によるヘレニク・グノーシス主義「異端」の論駁目的のための教義書引用や、 報告は、間接的ではあるが、今日でも貴重な資料である。
  (また、キリスト教護教家以外に、異教の哲学者たちも、グノーシス主義を批判しており、もっとも著名なのは、新プラトン主義の巨匠プロティーノス Plotinos(Πλωτινος, Plootiinos, 204−269)が、主著『エンネアデス Enneades』中でグノーシス主義に言及し、反論を加えていることである)。

  グノーシス的現存在姿勢  [D] gnostische Daseinshaltung, die (グノースティッシェ ・ダーザインスハルトゥング), [E] gnostic daseinshaltung グノーシス主義研究者ハンス・ヨナス(Hans Jonas)の概念。この形では普通表現されない。「反宇宙的現存在の姿勢(akosmische Daseinshaltung)」のような形で使用される。現存在姿勢(Daseinshaltung)は、実存思想的な用語で、「現存在(Dasein)の姿勢・態度(Haltung)」と云う意味である。「現存在の姿勢(ダーザインスハルトゥング)」は、また「精神の姿勢・態度(Geistes-Haltung)」とも呼ばれ、これらの用語は、ほぼ同じ概念を示している(つまり、人間の現存在とは、精神 Geist であるということである)。
  グノーシス主義の起源及びその本質規定問題において、グノーシス主義は、その神話や信仰のモチーフの解釈によっては説明できない。グノーシス主義は、むしろ、人間実存が何らかの社会的状況のなかで、「或る実存のありよう」を持ち、この実存のモードから、世界と自己とは何であるか、いずこより来たり、いずこに行くべき存在か、その「存在の本来性」を尋ねて、現なる現象世界に一定の解釈(Deutung)を与えることで、自己と世界の存在了解を行う過程であると考えるのが妥当である。
  このような「実存の或るモード」、 言い換えれば「現存在の存在世界と自己存在に対する対し方=姿勢」が、世界と自己に対する問いかけを惹起し、存在の意味の説明を求め、その解釈を既存の宗教や思想のイメージ・概念・用語で表現するところに、グノーシス主義の創作神話(Kunstmythos)が成立すると考える。このような「現存在の姿勢」は、「反宇宙的な現存在の姿勢」とも云われ、この現象する存在世界に対し、積極的な否定を声明すると同時に、ニヒリズムやペシミズムではなく、世界と自己の現なるありように対する、「救済的説明」を見出し、創作神話のなかに「救済の智慧」を解釈(deuten)できるとき、このような「現存在の姿勢」は、グノーシス的な現存在姿勢である。
  グノーシス的な現存在姿勢は、結果として、存在解釈において、上述の通り「創作神話」を生み出す。これを外部の他者から見るとき、無節操な混淆的な宗教神話の表明に映じる。グノーシス主義は、「言葉で表現された神話や教義」に本質が宿るのではなく、神話や教義は「グノーシスの精神」を表現するための外皮であり、神話や教義は、更に個々人の実存によって、現存在解釈され了解されねば意味を持たない。このようにして、グノーシスの教えは、「グノーシス的な現存在姿勢、または精神の姿勢(Geisteshaltung)」を備える者が、そのような現存在姿勢において、神話を解釈することで、初めて「意味」が了解される。
  「グノーシス(叡智・認識・覚醒)」とは、こうして既にその智慧を知る者が(グノーシス的現存在姿勢にある者が)、神話や教義の「言葉の外皮」を玩味して行く過程で、「すでにこの真理は、わたしには既知のものだ」という気づきに達するとき、グノーシスの了解が成立するのである。「至高の光の霊のなかにわたしがあり、わたしのなかに至高の光の霊がある」とは、グノーシスの真理に「気づいた」とき、本来性を求めていた自己は、本来性が、それを求めていたという「わたしの現存在のありよう」において、実はすでに自己の内部で現成していたという真理を自覚することである。

  この世 [G] cosmosκοσμος, kosmos, ho),  [E] cosmos, コスモス。宇宙。→〈宇宙〉。


[S]

  心魂(しんこん・たましい) [G] psycheψυχη, psyuukhee, hee), [L] psyche, f, [D] Psyche, die (プシューヒェ), Seele, die (ゼーレ), [E] psyche, soul, mind, [F] psyché, la,  人間を構成する三要素の一つ。肉体と対になって、人間の地上的存在を構成している。地上的な精神(ヌース nous)とも云える。ヌース(理法・宇宙精神)は、永遠不滅なものとギリシア古典哲学では考えられたが、魂・心魂は、ヌースの要素を持ちつつも、地上において可壊であり、死と共に滅びて消える。しかし、解釈的には、心魂の「或る部分」は、永遠なる「霊 pneuma」と共に、永遠の世界である本来的世界(プレーローマ)へと帰還し、永遠性を保持できる可能性もあると考えられる。(ヘレニク・グノーシス主義諸派において、秘教的要素がもっとも大であるとも云える、ヴァレンティノスの教えによる「三種の人間」すなわち、「魂の救済」が本来的に既定である「霊的人間」と、救済の可能性が一切無い「質料的(物質的)人間」、そしてその中間の叡智の学習と修行・修練次第では、魂の永遠的救済の道も開ける「心魂的人間」の三類型構造は、人間の「霊・心魂・肉」の三元構成に丁度対応している。古典ギリシア哲学来の「人間の永遠的部分」は何か、と云う問題と、ヴァレンティノス派やグノーシス主義に一般するこの人間の三元構成論は対応しているとも云える)。

  善と悪(ぜん・と・あく) [G] agathon kai kakonαγατον και κακον, ta), [L] bonum et mala, n, 善と悪について、それがいかなる概念であるか、実体であるか、文化的なコーディングを超越した、普遍的な概念を定立・把握することは困難である。中世哲学においては、神(Devs)は、善にして真なる本質(essentia)を備える存在者として把握されていた。善とは何か、惡とは何かは、神の有する本質のもっとも重要なものの一つが、善であり、善の欠如態が惡であった。神は、純粋形相と実体性の統合であり、存在性(Esse)の源泉根源であったので、善は神の存在において、実体として存在していた。しかし、グノーシスにおける善と悪は、無論、中世哲学における超越的かつ超越論的定立からは無限の距離にあるものとも云える。
一つの答えの試みとして、「死」は悪であった。何故なら、古代ギリシア・ラテンの哲学的思惟や、宇宙観において、神とはまず「不死なる存在者」であったからで、神とその創造の所産になる「この宇宙」は、不死であり、善である。永遠の生命は善であり、死は端的な悪であった。「死は罪の棘である」と記したのはパウロスであるが、しかし、パウロスは、キリストが永遠の命への道を開いてくださったとの前提において、このように述べている。本来、人が死なねばならない根拠が不明である。それ故、人の死の事実性に対し、幾つかの類型に分かれる解釈が行われた。いずれの類型においても、人は本来的には不死不滅である。しかし、人は神ではないが故に、死の定めにある。あるいは、人は本来、泥であり、命なき存在であったが、神が自己の命を貸し与えた為、神の命の宿るあいだは、人は生きているのである。
しかし、人のなかの霊の現なる実在の事実性を越えて、そもそも神は存在しえるのか。神は、人のこころの霊の実在にその根拠があるというべきである。これは、人の観念が神を発明したと云うことではなく、神はまず内在する神として了解されると云うことである。外在する神は、本来、神ではなく、自然や外的世界の暴威・暴力とも呼ぶべきもので、これを神格化したものを神とするが、このような超越の神の成立には、内在神の認識定立が前提になると考えられる。人間が神を発明するのではなく、神の霊が自己のたましいに内在することで、神を了解定立するのである。このような神性を持つ者として、外界の暴威の主体に神格が与えられる。《神の発見・神への覚醒》と云う過程が、人間の精神の発展において顕現すると思われる。
極めて、大まかな概念定立ではあるが、善とは神性のことであり、不死のことである。惡とは死すべき定めと、それに関連すると考えられる、潜趨事態と実体を意味する。天災や戦争、厄災は悪である。何故なら、これらの災害や不幸において、人は死に直面し、死んで行くからである。貧困や、自然の暴威等に対する無力さは、「惡」である。何故なら、このような貧困や無力さは、人に死を齎すからである。このように考え・解釈(deuten)するとき、死を宿命・定業として人間に課するコードや、その具現者・源泉実体は、惡である。人間の死を宿命とする「此の宇宙」や、宇宙の秩序の根源者である神は、惡の原因者、「惡の神」となる。
《神の発見・神への覚醒》は、「グノーシスの認識」と同じことを指すことになる。人に対し、爾は死すべき者であるが故に死ぬ、と令する神は、偽の神でなる。あるいは、人が死なねばならないのが運命である宇宙は、偽の宇宙である。人は本来的に不死不滅であり、神が存在するなら、この命題の真は確信的に認識される。もし神が存在しないならば、この命題の真偽は不明である。しかし、神は内在する神として存在し、人は神の存在に気づくことができる。自己が本来的に不死であり、永遠の善であると云う認識・真理の覚知は、このようにして成立する。キリスト教を初めとして、諸宗教、諸思想、諸哲学における「人は死すべき存在である」という前提が、本来性の顛倒である。善と悪は、このようにして実在するし、人は運命を乗り越えて、本来の不死なる永遠の善なる自己に気づき、本来性に回帰できる。

  造物主 [G] demiourgosδημιουργος , deemiourgos, ho), [E] demiurge, デーミウルゴスのこ と。プラトーンの著作より、グノーシス主義が援用した。→〈デーミウルゴス〉。

  ソピアー,ソフィアー [G] sophiaΣοφια, Sophiaa, hee), [L] Sophia, f, [E] Sophia, [D] Sophia, die (ゾフィア), [F] Sophie, la, 普通名詞としては、ギリシア語で「智慧」の一般的な意味を持つ。ヘブライ語の「智慧」である「ホクマー」のギリシア語形として転用されることがある。グノーシス主義のアイオーンとしては、多くのグノーシス主義諸派において、デーミウルゴスの母或いは、デーミウルゴスが創造される原因となった、至高アイオーン中の最低次アイオーンと云う位置にある。バルベロ・グノーシス派、オピス(オフィス,ophis)派、ヴァレンティノスの教説、プトレマイオス派、また『ナグ・ハマディ文書』である『ヨハネのアポクリュフォン』や『真理の福音』などにおいても、不完全なこの世が創造される原因は、アイオーン・ソピアーの過失にあるとされる。しかし、至高アイオーン・ビュトス、或いは様々な名で呼ばれる「把握し難き至高のアイオーン」の伴侶に立つ女性アイオーン(第二アイオーン)は、ソピアーとは別の名と存在を持つが、キリスト教の「予型論」のように、例えば、エンノイア(シーゲー)はソピアーの原型とも見なせ、また至高聖処女霊バルベロ(Barbeeloo,バルベーロー)も、ソピアーの原型とも考えられる。ソピアーは別の名で(例えば、ヘレネー)、堕落状態で地上を彷徨い娼婦として穢れた存在となるが、「光のグノーシス」によって「本来的自己」を回復し、プレーローマへと・父なる至高存在の許へと、浄化された霊として帰還すると云う神話が存在する。
  ソピアーは、「上天のソピアー」「境界のソピアー」「地上のソピアー」と三つの存在モードがあり、これらの三つのモードを通じて、ソピアーは、過失者にして救済者の原型だと云えるのではないかと思う。キリスト教の聖マリアが、丁度、このような三つのモードを持つ、「救済者」にして「救われる者」と云う女性アイオーンに対応しているように思える。聖マリアには、「過失」や「堕落」「娼婦性」と云うような要素はないが、キリスト教に即して云えば、結局そのような否定的要素を、リリスなどの神話的悪、あるいは現実宇宙の「女性」一般に押しつけることで、聖マリアの純粋性や天的神性・救済性・境界の取りなし者としての善なるモードが成立しているのだとも云える。


[T]

   [G] psycheψυχη, psyuukhee, hee), [D] Psyche, Seele, [E] psyche, soul, mind, 人間を構成する三要素の一つ。本用語集では、心魂(しんこん)と呼ぶ。→〈心魂(しんこん・たましい)〉。

  テトラクテュス [G] tetractysτετρακτυς, tetraktyuus, hee), [L] tetradium, n, [E] tetrad, ギリシア語で、「四個の組」「四組系」或いは 「第四」の意味。典型的には、プトレマイオス派(ヴァレンティノス派)グノーシス主義において、原初、知ることのできない「至高の上なる先在の父」より、光の存在流出が生じた時、「先在の父(プロパトール=ビュトス)」はその女性的位相であり、第二至高アイオーンである 「エンノイア=シーゲー(静寂)」に、アイオーンの種子(sperma)を置き、これによって、「万物の父」とも称される、第三アイオーンの「ヌース(叡智)」または「独り子(モノゲネース)」が生み出されたとされる。ヌースの女性的位相は、アレーテイア(真理)と呼ばれ、この四柱、二組の至高アイオーンが、プレーローマにおける、原初の「テトラクテュス」、即ち「四つ組」を構成した。また更に、「父(パテール)」と呼ばれるヌースより、ロゴス(言葉)とゾーエー(生命)の対が流出し、これらの二つから、アントローポス(人間)とエクレーシア(教会)が流出し、こうして根源の「オグドアス」が成立する。
  しかし、以上の説明は、エイレナイオスに依拠したものであり、ヒッポリュトスは、これとは幾分異なる神的世界の流出の構造を報告している。ヒッポリュトスは、エイレナイオス報告における至高第二アイオーン=シーゲーの存在を述べず、至高なる先在の父=プロパトールは、女性的位相とは無関係に、三組の至高アイオーンを流出したとする。この説では、「テトラクテュス」は成立せず、また「オグドアス」も成立しない。しかし、「三十アイオーン」界とも呼んでいる三十のアイオーンで構成されるプレーローマは、ソピアーを第三十アイオーンとしてではなく、第二十八アイオーンとして、なお成立する。 参照 →〈オグドアス

  デーミウルゴス [G] demiourgosδημιουργος , deemiourgos, ho), [L] demiurgus, [D] Demiurg, der (デミウルク), [E] demiurge, ギリシア語としては、 「職人・工匠」の意味であるが、プラトーンの『ティマイオス』のなかで、下級の宇宙の創造者として現れる。この場合、「造物主」と呼ぶ。デミウルゴス,デーミウールゴスとも云う。通常、グノーシス主義では、低次アイオーンで、プレーローマの真の神を模倣して、不完全な此の世界(コスモス)を創造した、不完全な神・偽の神の呼称である。デーミウルゴスとしては、ヤルダバオートなどが固有名として挙げられる。サバオート、エル・シャッダイなども、デーミウルゴスの固有の名とされる。

  天使 [G] angelosαγγελος, aggelos, ho, hee), [L] angelus, m, [E] angel, [D] Engel, der (エンゲル), [F] ange, le, [H] malach, 天使は、古代オリエントにおいて、神と人間のあいだを仲介する霊的存在・精霊として、様々なものが考えられていた。ユダヤ教では、「神に準ずる霊格存在」として、古くは「ケルブ」や「セラプ」が考えられていたが、これらは多数の翼や多数の眼を持つと云われており、正体不明な怪物にも思える。他方、「神の使い」とも呼ばれる、神の意志の具現化としての天使がまた考えられており、神と人間のあいだを仲介するのは、このような「使い」としての天使であった(古代ギリシア語の「アンゲロス, angelos 」は、使者と云う意味である)。
神からの使者としての天使は、初期の図像的解釈では、成人した男性の姿であった。しかし、やがて、美しさや崇高さ、優しなどが強調されるようになり、女性的な姿で表象されることが一般になる。天使は、本来は、両性具有乃至無性・中性で、見かけとは別に、男性でも女性でもない。後世にあっては、ガブリエル、ミカエル、ラファエルなどがポピュラーな天使となったが、彼らの図像的表象は、女性的な要素が強い。『旧約聖書・ヨブ記』に出てくる「サーターン」は、善でも悪でもなく、ヤハウェの意志に忠実な「神の使い」として登場するが、後に、悪の天使(堕天使)の頭とも見なされた(サーターンはまた、サマエルとも呼ばれた。これは「悪の天使」の原義をヘブライ語で持っている)。
グノーシス主義の多くのアルコーン、低次アイオーンとして、ユダヤ教、キリスト教の天使が援用された。『旧約聖書アポクリファ』である『エノク書』などに出てくる天使が、端的にアルコーンであるとも考えられた。天使は、古代ギリシアのダイモーンが、その一種だとも考えられ、ダイモーンは、英語の damon (悪魔)の原語となった。しかし、ギリシア語の本来的意味では、ダイモーンは、悪でも善でもない、中立的な霊的存在・精霊である。参照 : →〈キリスト教天上位階論・天使位階表


[N]

  ナグ・ハマディ写本 [E] Nag Hammadi Codices, 二十世紀の半ばには、新約聖書学にとって重要な二つの貴重な発見がなされた。一つは、『死海文書』の発見で、いま一つが『ナグ・ハマディ写本(文書)』の発見である。写本群は、1945年12月、ナイル川流域、上エジプトのナグ・ハマディと呼ばれる場所より、素焼きの大甕のなかに纏めて封入されているのが、付近の村人によって発見された。この村は古くからあり、ナグ・ハマディも含め、ケノボスキオン(ケノボスキア)地域の周縁にあったので、この写本群は『ケノボスキオン文書』とも呼ばれている。一部の写本は発見後、村人の手で廃棄されたが、大部分は残り、きわめて保存状態のよい写本が多くあった。写本はパピルス写本で、紀元前後のエジプト語であるコプト語(セム語の一系統)で記されていたが、多くが「グノーシス主義文献」であることは明らかで、ギリシア語原書より翻訳されたものと考えられ、年代は、書写されたのが紀元四世紀であるが、原典ギリシア語写本は、二世紀に遡るものがあることが確認されている。写本は、四世紀頃、この地方に存在した、コプト・キリスト教会修道院が収集・所有していた「グノーシス」乃至「禁欲主義」についての文献文庫ではないかと推定されている。
  残存する写本は、十三のコーデックスより成り、それぞれの写本(コーデックス)は、皮で綴じられ装丁されており、各々が三から七の独立した文書を含み、全体で断片も含め、52の文書より成る。内容的には、グノーシス文献がもっとも多く、他にヘルメス哲学関係文書、プラトンの『国家』の断片なども含む。またグノーシス主義文書は、「創造神話」「福音書」「説教・書翰」「黙示録」などに形態的・内容的に分類される(この分類は、岩波書店版『ナグ・ハマディ文書』全4巻に使用されているものである)。文書には、タイトルのないものと原題の記されているものがあるが、通称として、以下のようなグノーシス主義文書が含まれる : 『ヨハネのアポクリュフォン』『アルコーンの本質』『この世の起源について』(以上、救済神話)、『トマス福音書』『フィリポ福音書』『エジプト人の福音書』『真理の福音』『三部の教え』(以上、福音書)、『魂の解明』『闘技者トマスの書』『イエスの智慧』『雷・全きヌース』『真正な教え』『真理の証言』『三体のプローテンノイア』『救い主の対話』『ヤコブのアポクリュフォン』『復活に関する教え』『(聖なる)エウグノストスの書』『フィリポに送ったペトロの手紙』(以上、説教・書翰)、『パウロ黙示録』『ヤコブ黙示録一』『ヤコブ黙示録二』『アダムの黙示録』『シェームの釈義』『大いなるセツの第二の教え』『ペトロ黙示録』『セツの三つの柱』『ノーレアの思想』『アロゲネース』(以上、黙示録)。(第十三コーデックスは、纏まった写本の形では存在せず、第六コーデックスの中に、八枚分が紛れ込んでいた)。
  コプト語原典写本には、最初ファクシミリ版が造られたが、現在では、複数の言語で「写本文庫」の翻訳が行われている。日本の翻訳は、岩波書店が発行している『ナグ・ハマディ文書』であるが、これは、52の文書の裡の保存状態の良かった33の文書の訳を収載している(34文書を含むように見えるが、3文書は、異端反駁論者の著作からの抜粋翻訳で、また、『マリヤによる福音書』は『ベルリン写本』に所収の文書で『ナグ・ハマディ写本』中の文書ではない。更に『ヨハネのアポクリュフォン』の異本2文書が、一つの文書として、他の異本(『ベルリン写本』文書)と共に、対照形で訳出されており、また『(聖なる)エウグノストスの書』の異本2文書を、同じく対照形で、一文書として示しており、『エジプト人の福音書』も同様、2異本で、一つの文書としているので、実質33文書となる)。英語版の全訳は、『The Nag Hammadi Library in English(San Francisco, Harper and Row,1988)』がある。これは最初、オランダで初版が出版されたものであるが、現在、英国・アメリカ両方の出版社から入手できるはずである。

画像左)現在における復元写本。パピュルスは、このように装丁されていた。
画像右)写本の見開き二頁。左頁に、ギリシア語で、ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ ΑΠΟΚΡΥΦΟΝ(ヨハネによるアポクリュフォン)と表題が記されている。文字はコプト文字。

  肉,肉体 [G] sarksσαρξ, sarks, hee), [L] caro, f, [E] flesh, [D] Fleisch, das (フライシュ), [F] chair, la, 人間を構成する三つの基本要素の一つ。身体・体(ソーマ sooma)とは区別される。「肉」は物質で構成されており、霊(pneuma, spiritus)と対になる構成要素である。神的要素を備えるイデアー的存在が「霊」であるに対し、肉は、質料的要素で、地上にあって滅び崩れる定めにある。キリスト教では、キリストの霊つまり「ロゴス」は、肉なる存在のイエズスに宿ったとされるが、グノーシス主義でも、救済者クリストス(キリスト)の霊は、「肉の衣」を纏い、人類救済のため、地上に肉化した。人間の状況は、この救済者「星のイエズス」と同様であり、肉の衣のなかに、その本来性である「霊の火花・破片」が閉じこめられている。肉よりの脱出がグノーシス主義の基本的志向であるが、人間の「肉体的存在性」は、単純に二元論で割り切れるほどに簡単な問題ではない。グノーシス主義者の「肉的・反倫理的放縦」と呼ばれるものに、グノーシスの真の賢者・達人たちが自由でいられたのは、人間実存の肉的深遠の意味を弁えていたからである。グノーシス主義の「反宇宙的二元論」が、まさに「不完全な質料的この世=宇宙」を前提としなければ成立しなかったように、「光明の霊の救済」は、質料的・肉的な人間実存の位相の存在を前提としているとも云える。(「究極の救済」は、ヘレニク・グノーシス主義の神話が語るようには、実存しないと云う可能性が、現時点の認識としては妥当であるように思える。グノーシス主義とは、宗教でもあるが、また、「現存在姿勢(Daseinshaltung)」でもあるからである)。


[H]

  反宇宙的二元論 [D] Akosmischendualismus, der, [E] anti-cosmic dualism, グノーシス主義の宇宙観を典型的に表現する概念。「宇宙 Kosmos」は「此の世」とも云い、地上世界と星辰世界を含む天界を総称する。星辰世界は、低次アイオーンであるアルコーンたちの世界と考えられ、更に上位の「天界」には、永遠の至上神であるプレーローマ超宇宙圏域があると考えられるが、「宇宙」と呼ぶ時、通常、低次の偽の神が創造した、「不完全な悪の此の世」を意味する。グノーシス主義は、低次霊であるアルコーンの創造した「宇宙」を否定し、真の神の創造である高次アイオーンのプレーローマ超宇宙を、「自己の本来の故郷」とする。悪と不完全さの代表としての「此の世=宇宙」を否定し、光と善の霊の本来的故郷を希求する精神の態度(ハルトゥング)を、反宇宙的二元論と呼ぶ。肉体や魂もまた不完全で、滅びる定めにある此の地上に帰属するので、反宇宙的二元論は、肉体や魂も、原理的には否定する。永遠世界の「霊の破片」と真の神に救済を求める二元論宇宙観。

  プレーローマ,プレロマ [G] pleromaπληρωμα, pleerooma, to), [E] pleroma, ギリシア語で、「充満」或いは「満たされた状態」を云う。グノーシス主義では、真の神が創造した「真の世界」の永遠の圏域を意味し、高次アイオーンである、八個のアイオーン(オグドアス Ogdoas)や、三十のアイオーンなどで構成される。プレーローマの真の至高神・原理は、栄光の「プロパテール」と呼ばれる。人類の「霊」の故郷は、このプレーローマ永遠世界であるとされ る。「宇宙(コスモス)」の対立概念とも云える。ユダヤ神秘主義思想のカッバラーにおける、エイン=エインソフ世界にも類比される。参照 : →〈オグドアス・プレーローマ構成表〉 |oder →〈三十アイオーン・プレーローマ構成表

  プロパテール,プロパトール [G] PropaterΠροπατηρ, propateer, ho),PropatorΠροπατωρ, Propatoor, ho), 原父、先在の父。多くのグノーシス主義神学において、世界の始まる原初にいたとされ、また、人間の霊の本来的故郷とされるプレーローマの創造流出の源泉となった超神的存在。「知られざる父」「知られざる至高者・神」「上なる神」、また「ビュトス(深淵), Bythos」等と呼ばれる。プロパテール=プロパトールについては、人間も含め、上天の高次アイオーンたちにとっても、「認識・理解」を越えていると云う点で、多くのグノーシス主義諸派の見解は一致している。中期ヘレニク・グノーシス主義では、定型的「否定辞」を重ねてプロパテールを表現したのであり、グノーシス主義の否定神学的アスペクトがここに存在する。しかし、プロパテールが「完全な者」で、「善・光明」の超霊・至高神であることは肯定されている。プレーローマの主であり、第一のアイオーンで、伴侶シーゲー(静寂・沈黙)と共に両性具有を構成し、「宇宙=この世」と対立する根元原理。
  第三十アイオーンであるソピアーが、その伴侶テレートスの同意なくして、「至高の父」に「情欲的憧れ」と共に「知識慾」を持って、知られざる父の本質を知ろうとしたことが、アイオーン・ソピアーの落下をもたらした。また、それがプレーローマ世界に「混沌」の萌芽を生みだし、ここより、中間世界、低次地上世界=この世が創造される原因となったとされる。

  ヘレニク・グノーシス主義 [D] Hellenistischer Gnostizisumus, der, [E] Hellenistic Gnosticism, [F] Gnosticismes Hellénistiques, le, 「ヘレニク・グノーシス主義」は、わたしたちの造語であり、一般的にこのような言葉は存在しないと思える。このような言葉乃至概念を提唱するのは、「グノーシス主義」において、その原型的思想形態が想定されるからである。この広義の原型的思想範型を「普遍グノーシス主義」と名付け、他方、歴史的にもっとも知名度の高い、紀元の最初の数世紀、地中海世界・ヘレニク世界に成立したグノーシス主義、即ち、当時擡頭しつつあった原始キリスト教会が、「異端」の烙印を押し、反駁書を記したグノーシス主義諸派を代表として、ヘレニズム時代にあって、ヘレニク文化を背景に成立し流布したグノーシス主義と云う意味で、「ヘレニク・グノーシス主義」と呼称するのである。
  グノーシス主義の普遍的原型とその本質定義については、1966年4月、イタリアのメッシーナ大学で開催された、「グノーシス主義の起源に関する国際コロキウム Le Colloque International sur les Origines du Gnosticisme」における議論を通じ、研究者たちのあいだで、一応の共通認識が成立しており、研究者によって解釈や判断の幅はあるものの、ここでわたしたちが云う「ヘレニク・グノーシス主義」が、グノーシス思想の現存在的姿勢(Daseinshaltung)と実存実践(Existentielle Praxis)の普遍原型の「一つの個別具体例」であると云うことについては、確認がなされていると云ってよい。
  そこで、ヘレニク・グノーシス主義とは、どのようなものであるかは、その流布地域性や思想の類型・神話形態によって、大別、二つの大きな類に分かれると云える。一つは、「シリア・エジプト型グノーシス主義」で、いま一つは、「イラン型グノーシス主義」である。この二つの類は、前者をその流布地域より「西方グノーシス主義」と呼び、後者を「東方グノーシス主義」と呼ぶ言い方も存在している。この二つのグノーシス主義の類を区別する特徴は : まず、シリア・エジプト型グノーシス主義は、善と悪、或いは光と闇の二元論を教説する創造神話において、原初、光の一元論世界の存在を前提し、反宇宙 的二元論構造の成立については、光のなかに内在した何らかの瑕疵によって、光の調和世界が破れ、そこから「闇と悪の世界」の萌芽が発出し、上位の世界より下位の世界への垂直的「流出」創造が為され、それが「この世の起源」であると説く。これに対し、イラン型グノーシス主義は、原初において、或いは、創造神話の端緒において、「光の原理世界」と「闇の原理世界」の両者の既存を認めており、何らかの事件において、「光に属する霊」が、闇の世界に紛れ込み捕らわれ、その「光=霊の本来性」を喪失・忘却した状態が、「この世」の現なるありようであるとする。
  イラン型グノーシス主義の具体例は、公教として広くユーラシアに流布したマニ教グノーシス主義が、その代表として挙げられる。それに対し、シリア・エジプト型グノーシス主義は、『ナグ・ハマディ写本』の諸文書を構成した諸派がその例であり、それはまた、正統キリスト教の反異端教父たち、つまりグノーシス主義異端反駁論者たちと、この用語集では呼んでいる人々が、異端として弾劾し、反駁を試みた「いわゆるグノーシス主義」の諸派とほぼ対応している。異端反駁論者たちが名付けた名前では、ヴァレンティノス派、プトレイマイオス派、オピス派、バルベロ・グノーシス派等が、その例となる。現代のイランとイラクの国境近くに居住する人々の信仰する「マンダ教」と呼ばれるグノーシス主義宗教は、イラン型とシリア・エジプト型グノーシス主義の特徴を併せ持っており、その中間形態であるとも云える。
  シリア・エジプト型グノーシス主義は、更に、ユダヤ教的、キリスト教的、そしてヘルメス思想的と云うような、三つの類に分けて考えることが可能である。無論、実際のグノーシス主義の個々の派は、これらの下位分類のあいだで流動しており、明確に三つの類に分けることができる訳ではないが、表層的な用語法・固有名詞等を除けば、キリスト 教とはほぼ無縁と云えるグノーシス主義の類型が、ユダヤ教的グノーシス主義として、例えば、『ナグ・ハマディ文書・アダムの黙示録』を構成した派の教説に認められるのであり、この点よりも、いわゆる「グノーシス主義」を、キリスト教の異端と考える見方は否定されるのである。シリア・エジプト型のキリスト教的グノーシス主義が、「キリスト教の側から見て」、「異端」に映じるとしても、我々は、そのような主張を認める訳にはいかないのである。端的に、我々にとっては、「キリスト教は世界の中心ではない」からである。


[F]


[M]

  マニ マーニー [G] ManiManesΜανες, Manes, ho), [L] Manichaeus, [Persian ?] Mani, [E] ManesMani, 人名。 [c.216−c.275] 。マニ教の創始者。ササン朝が起こる前のパルティア王国領バビロニアに生まれる。両親はペルシア人であるらしく、また、マニ教の讃歌にマンダ教のそれと類似したものがあることなどから、両親は、マンダ教に関係があったとされる。240年頃、「生けるパラクレートス(parakleetos, 仲介者・霊)」による、召命を受け、光と闇についての奥義や、世界の起源の啓示を受け、新宗教の宣明を広範囲に開始する。ゾロアスター教の異端とも見なされ、その迫害を受け、275年頃、磔刑に処せられ殉教。しかし、その教義は弟子たち信徒たちによって広く伝道され、当時の西アジア・オリエント最大規模の世界宗教となる。

  マニ教 [D] Manichäismus, der (マニヒェイ スムス), [E] Manichaeism, マニが三世紀半ば、ササン朝ペルシアにて創始した宗教で、イラン型グノーシス主義思想の最高体系。ペルシアの伝統的宗教であるゾロアスター教の光と闇の二元論を基調にしつつ、グノーシス思想の原理である、「反宇宙的二元論」構造を持つ。宗教的構成において、仏教、ゾロアスター教、キリスト教の要素を取り入れ、仏陀、ゾロアスター、イエズスを自分に先行する「この世からの救済者」と認め、マニ自身は第四の救世者・真実開示者で、最終の真理の啓示者を称した。シリア・エジプト型グノーシス主義が、マルキオーンのキリスト教的グノーシス主義を例外として、すべて密教的性格を帯びていたのに対し、マニ教は「顕教」として公同に普遍的に伝道され、キリスト 教にとっては、ローマ帝国による公認を得て、ミトラ教に打ち勝った後は、地中海世界での世界宗教として最大のライヴァルであった。古代ユーラシアの世界宗教の一つであり、第二千年期中葉、15世紀頃まで、なお、その信徒勢力は存在した。十世紀頃ブルガリアで勢力のあった「ボゴミル派」、また南フランスのラングドック地方を中心に、13世紀半ばまで、広範囲に栄えた「カタリ派」は、マニ教のキリスト教的分派であるとの解釈も可能である。
  (しかし、ボゴミル派もカタリ派も、マニを宗祖と認めていないことも事実であり、この点からは、それらはマニ教の分派とは言い難い。中世のカトリック教会等の伝統では、 「マニ教徒である」という告発は、「異端である」という断罪と同義であった。キリスト教においても、イスラム教、ゾロアスター教においても、「マニ教的」とは「異端」の言い換えでもあった)。その最盛期には、東は中国、西は大ブリテン島まで、多数の信徒を擁した世界宗教のマニ教は、歴史から今日消え去ってしまった。何故マニ教が消滅したのか一つの謎であるが、古代イランの世界宗教であり、やがてササン朝のもと民族宗教となったゾロアスター教もまた、かつての勢力は現在見る影もなく、かろうじて少数の信徒が信仰を継続している状況を鑑みれば、マニ教の消滅も、必ずしも不思議なことではないのかも知れない。

  マルキオーン,マルキオン  [G] MarkionΜαρκιων, Maarkioon, ho), [L] Marcion, [D] Marcion, der (マルツィオン), [E] Marcion, 人名。 [100?−?160]。生没年不詳。アナトリア半島東北域のポントゥス州の港湾都市シノペに生まれ、二世紀頃、独自の教えを説いて、原始キリスト教会と対立する。原始キリスト教会に先立って、『パウロス書翰集』と『ルカ福音書』をカノン(正典)と定めて、マルキオーン派教団を設立する。その神学は、『旧約聖書』の神ヤハウェを、この世の創造者と認め、「悪の宇宙」の支配者と見なす。キリスト教会と異なり、イエズスを、天主ヤハウェの「子なる神=独り子」(或いは三一の神の一位格)と認めず、異界より訪れた「救済の主」であり、この世とは無関係な異邦の神であるとする。イエズスは、まことに、根拠なく人類を悪の宇宙より救済してくださる主であると、マルキオーン神学では主張する。原始キリスト教団は、マルキオーン神学に驚愕し、対抗のため、キリスト教のカノン制定を開始する。此の世を創造したのは「神」であるに対し、イエズス・クリストスの救済は、その「父」によってもたらされるとして、「神」と「父」の二元の神論を説いた。この点において、マルキオーンは、もっとも鮮明な「反宇宙的二元論」の主張者であるが、マルキオーンの神学には、他のグノーシス主義諸派に典型的に見られるシンクレティズムや、世界創造神話がなく、またマルキオーンは、「智慧(グノーシス)」ではなく、「信仰(ピスティス)」を教えの核心とした。それゆえ、マルキオーン神学は、グノーシス主義ではないと云う見解もある。


[Y]

  ヤハウェ,ヤーウェ [H] JaHWeH, [L] Jehova, [E] Jahweh, Jehova, [D] Jahwe,Jahve, (ヤーヴェ), der, [F] Jahvéh, Jéhovah, le, 『旧約聖書=ユダヤ聖典』の至高神で、世界の創造主。キリスト教では、イエズスの説いた「父なる神」はヤハウェと同一の神であるとされる。グノーシス主義では、デーミウルゴスであり、偽の神である。ヤハウェが偽の神である根拠として、グノーシス文献は、『旧約聖書・イザヤ書』においてヤハウェが語る、「我は唯一なる神なり」「我は嫉妬深き神なり」と云うヤハウェの宣言を引用する。ヤハウェはサバオート(サバオト)と同一視され、サバオートは、ヤルダバオートの子、或いは同一の神であるとされる。従って、 ヤハウェは、ヤルダバオートのことにもなる。

  ヤルダバオート,ヤルダバオト [D] Jaldabaoth, der, [H] Jaldabaoth, キリスト教的・ユダヤ教的グノーシス主義で、造物主(デーミウルゴス)の固有名とされる。ヘブライ語で、「ヤーの子」と云うような原義がある。デーミウルゴスとしては、「ヤー」と云う名もある。これは、ユダヤ教の最高神「ヤハウェ(YHWH)」とほぼ同義である。(Jaldabaoth と云う名称は、ヘブライ語の「YLD# BHWT(混沌の子」から由来するとされて来た。# は、ヘブライ文字のアレプである。……また別の説では、シリア語の「若者よ、渡り来たれ」と云う意味より「ヤルダバオート」の名が派生したとされる。これは、『この世の起源について』において、ヤルダバオートの名の由来の説明としても出てくる)。


[R]

   [G] pneumaπνευμα, pneuma, to), [L] spiritus, m, [H] ruach, [D] Pneuma, das (プノイマ), [E] pneuma, spirit, [F] esprit, le, 人間を構成する三要素の一つ。肉と心魂、そして神的性質を持つ、この「霊」より人間は構成される。「魂(プシュケー)」は、一般に諸文化において、人間の意識的側面を表現する主体で、時に、影・亡霊などの意味も含む。「霊」もまた、「魂」とよく似た実体であり、魂がそうであるように、個人の「生命」の本質のごときものとも考えられた。(つまり、魂や霊が、人の身体を離れると、その人間は生命を失い、死ぬ。一度死んだ者でも、魂や霊が身体に戻って来た場合、人は甦る。或いは、魂や霊の喪失で、人の身体は死ぬことはなくとも、主体的意識が消え、狂気に陥ったり、植物状態に陥ったりと様々な欠如が起こると考えられた。魂や霊は、人間の生命や「生気」「正気の自我」の主体だとも考えられた)。……霊が魂と異なるのは、霊は、「高められた魂」あるいは、次元の高い、乃至次元を異にする何かだと云うことである。人間よりも高次の精神的存在、例えば、神や精霊が備える特質は、その「霊」に依るとも考えられた。霊は、畏怖感・ヌミノーゼをそれと出会う人に与えることがある。人間であっても、特別な人、例えば、シャーマンや、王、霊的能力を持つ者などは、魂だけではなく、「特別な霊」を持つとも考えられた。「霊」は、魂と或る程度相似し、身体・肉に対する意識や心・いのちの源泉と考えられたが、魂と異なり、普通の人間にとっては異常な何かであり、或る意味で、恐るべき何かだとも云える。――グノーシス主義における人間の「霊」は、至高神・至高原理の「霊」の分与と考えられ、人間の魂の奥にある「霊」が、プレーローマへの救済の可能性を保証する原理となる。

  両性具有 [G] androgynosανδρογυνος, androgynos, ho, | as Adj. common to men and women), [L] androgynus, m, [D] Androgyn, der (アンドロギューン), Androgynie, die (アンドロギュニー), [E] androgyne, [F] androgyne, le, 名詞兼形容詞。古代ギリシアからの神話的表象。「アンドロギュノス」は、男・夫を意味する「アネール aneer, ho(ανηρ)」と、女・妻を意味する「ギュネー gynee, hee(γυνη)」の合成語で、文字通りには、「男女(おめ)」と云う意味である。プラトーンの『饗宴』において、原初の人間のイメージとして神話的に語られる。古典ギリシアにおける、観念上での「理想的人間」のイメージであり、ローマ時代でも、理想イメージであったが、現実上の両性具有は奇形と見做された。グノーシス主義においては、プレーローマの至高アイオーンは、両性具有であるとされ、神と人間の「本来的様態」は両性具有存在であると考えられた。
  アネールに夫の意味があり、ギュネーに妻の意味があることから、「アンドロギュノス」で、男女の完全な結合・一体化、「聖なる婚姻」を象徴し、ヴァレンティノス派の秘蹟として、「新婦の部屋」の秘儀があった。これは、心魂(プシュケー)を花嫁とし、霊(プネウマ)を花婿とする、心魂と霊の神秘的結合の秘儀で、プレーローマにおいて、 救済された霊魂が到達すべき至上状態=両性具有を象徴的に実現する儀式であった。プレーローマ界の至高アイオーンは、男性アイオーンと女性アイオーンの対(シュジュギア,Syzygia)となっており、それぞれのアイオーンが、その伴侶と共に両性具有を実現すると同時に、アイオーン自体が両性具有であった。アイオーン・ソピアーは、伴侶の男性アイオーンを無視し、別個に活動した至高女性アイオーンであり、これは、「心魂(女性名詞)」の「霊(中性名詞)」より分離された不完全な状態を神話的に象徴しているとも云える。アイオーン・ソピアーは、「完全性=両性具有性」を保証する伴侶(シュジュゴス,Syzygos)を拒否したが故に、プレーローマよりの落下が引き起こされるのである。また、その結果として、霊より分離して、「肉」に結合された心魂の非本来的ありようが、地上 の人間の霊魂においてもたらされた。グノーシス主義においては、救済は、霊と心魂の両性具有の回復にあり、また、地上的・肉的「性」の超克と、人間の霊的両性具有化にあると云える。
  (追記 : オグドアスを構成する八個の至高アイオーンは、実は、実体的には四柱のアイオーンであり、彼らが「両性具有」存在であり、その男性的位相が、例えば、「知られざる先在の父=プロパテール=ビュトス」の場合、「プロパテール」であり、プロパテールの女性的位相が伴侶「エンノイア=シーゲー」である。また、オグドアス以下の高位アイオーンは、両性具有性は、男性アイオーンと女性アイオーンの「対」によって実現されており、それぞれのアイオーンは、「性別」を有すると云うのが一般論である。しかし、これでは、人間の魂の救済としての「両性具有」の再現・回復と云う理論と齟齬があるように思える。グノーシス主義の理論は、文献の写本作成時に正確に原文が複製されなかった為か、または、元々、人間の「思考力」を越えた「至高真理」を教説する故か、合理的に考えると、矛盾していると思われる記述・主張が、同一文献のなかにも存在している)。
  (補足)古代ギリシア語では、ヘルマプロディトス([G] hermaphroditos, 'ερμαφροδιτος)が、また両性具有の意味で使われた。これは、男神ヘルメース Hermes と女神アプロディーテー Aphrodite を合成したものである。近代語では、微妙な用法上の区別を付けたが(肉体的な意味での両性具有、精神的な意味での両性具有、植物と動物での両性具有、等)、古代においては、日本語古語の「男女・おめ」に相応する広い範疇での概念である。
古代ローマのアンドロギュノス彫像。


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グノーシス主義用語集=索引

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アイオーン [G] aionαιων, aioon, ho, hee [poet])
惡(あく) [G] kakonκακον, ton)
アブラクサス [G] abraxas’Αβρξας, Abraksas, ho)
アルコーン [G] archonαρχων, arkhoon, ho)
アルコンテス [G] archontesαρχοντες, arkhontes, hoi)
アンドロギュノス [G] androgynosανδρογυνος, androgynos, ho)
宇宙 [G] cosmosκοσμος, kosmos, ho)
オグドアス [G] ogdoasΟγδοας, Ogdoaas, hee)

救済者 [G] soterσωτηρ, sooteer, ho)
グノーシス主義 [D] Gnostizisumus, der,
グノーシス主義異端反駁者 [L] Adversi Haeresium Gnosticorum
グノーシス的現存在姿勢  [D] gnostische Daseinshaltung, (die)
この世 [G] cosmosκοσμος, kosmos, ho)

心魂(しんこん・たましい) [G] psycheψυχη, psyuukhee, hee)
善と悪(ぜん・と・あく) agathon kai kakonαγατον και κακον, ta)
造物主 [G] demiourgosδημιουργος , deemiourgos, ho)
ソピアー,ソフィアー [G] sophiaΣοφια, Sophiaa, hee)

 [G] psycheψυχη, psyuukhee, hee)
テトラクテュス [G] tetractysτετρακτυς, tetraktyuus, hee)
デーミウルゴス [G] demiourgosδημιουργος , deemiourgos, ho)
天使 [G] angelosαγγελος , aggelos, ho, hee)

ナグ・ハマディ写本 [E] Nag Hammadi Codices
肉,肉体 [G] sarksσαρξ, sarks, hee)

反宇宙的二元論 [D] Akosmischendualismus, (der)
プレーローマ,プレロマ [G] pleromaπληρωμα, pleerooma, to)
プロパテール,プロパトール [G] PropaterΠροπατηρ, propateer, ho)
ヘレニク・グノーシス主義 [D] Hellenistischer Gnostizisumus, der

マニ [G] ManiΜανες, Manes, ho)
マニ教 [D] Manichäismus, (der)
マルキオーン,マルキオン  [G] MarkionΜαρκιων, Maarkioon, ho)

ヤハウェ,ヤーウェ [H] JaHWeH
ヤルダバオート,ヤルダバオト [D] Jaldabaoth, (der)

 [G] pneumaπνευμα, pneuma, to)
両性具有 [G] androgynosανδρογυνος, androgynos, ho)



記号説明

  ギリシア語の単語表記の後の三つの 記号、ho, hee, to, は、定冠詞主格で、その単語の「性」を示す。ho, hee, to, の順で、男性、女性、中性名詞であることを示す(hoi, hai, ta, は、 ho, hee, to, の複数主格)。
  ラテン語の単語表記の後の三つの記号、m, f, n, は、この順で、その単 語が、男性、女性、中性名詞であることを示す。
  ドイツ語の単語表記の後の三つの記号、der, die, das, は定冠詞主格で、 この順で、その単語が男性、女性、中性名詞であることを示す。
  フランス語の単語表記の後の二つの記号、le, la, は定冠詞で、この順 で、その単語が男性、女性名詞であることを示す。
  また、ローマ字表記部分で、アンダーラインの付いている母音(乃至母音 群)は、そこにアクセントがあることを示す。ギリシア語では、強アクセント と曲アクセントの区別は、曲アクセントの場合、アクセント母音をイタリック 体にしている。ただし、ラテン語の単語の場合は、アクセント記号ではなく、 その母音が、長母音であることを示す。[RETURN



  
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