八経ヶ岳

(1914.9M)

大峰主要部を周遊

(第一部)

日程

五月の大杉谷以来、またも奈良県に向かうことにした。今回は奈良県の最高峰、八経ヶ岳が目的だ。休みが3日しかなく、アプローチを短縮する必要からマイカーで行く計画にする。幸い観音峰登山口を起点とすれば、山上ヶ岳、大普賢岳、八経ヶ岳を巡り一周して戻ってくることが出来る。我ながら無駄のない計画だ。奧駈道沿いの避難小屋に泊まれるのか不安だったので一応テントを持ってゆく。富山から8時間(予想)のドライブは大変だが公共交通機関と比べて時間に縛られないので気持ちは楽である。

8月13日 富山(22:00)
8月14日 観音峰登山口(04:30−07:00)=観音峰(08:40)=法力峠(09:45)=山上辻(10:55−25)=稲村ヶ岳(11:50)=山上辻(12:20)=レンゲ峠(12:55)=山上ヶ岳(13:30−10)=小笹の宿(14:45)
8月15日 小笹の宿(06:05)=大普賢岳(07:35−50)=行者還小屋(10:40−30)=トンネル西口分岐(12:50)=聖宝宿跡(13:40)=弥山小屋(14:45)=弥山往復
8月16日 弥山小屋(04:35)=八経ヶ岳(05:00−20)=弥山小屋(05:40−07:15)=狼平(07:50)=栃尾辻(09:20)=川合(10:55)=ミタライ渓谷(11:25)=観音峰登山口(12:00)洞川温泉(12:45−14:15)富山(23:30)

山行記録

仕事を終え、家で仮眠を取り、頃合いを見て出発する。北陸自動車道を瀬田で下り、宇治川沿いを走って城陽市に出てR24号、169号、309号と奈良県を北から南に縦断してゆく。深夜なので道路はガラガラで思ったよりもかなり速いペースで走ることが出来た。ただ、深夜だった事もあって観音峰登山口を見つけるに苦労した。トンネルを出てすぐ右にある登山口には20台ほどの駐車スペースがあり、日が出ていればすぐに分かるはずの場所である。車を停め、明るくなるまで一休みする。

  
左:観音峰登山口
右:観音の岩屋

明るくなってから車外に出て朝食を取り、トイレを済ませて早速登山に向かった。山上川にかかる吊り橋が登山道への入口。道はかなり整備されている。まずは対岸でミタライ渓谷の遊歩道を横断し、杉林の中を九十九折りに登ってゆく。やがて道は平坦になり、観音の水という水場に出る。しばらくトラバース気味のゆるやかな道。途中に展望台があり弥山方向の山並みが見える。登山道が登りにかかるとやがて鳥居と東屋があり、その先に古い石段が続いていた。どうやらここが観音平らしい。石段を登ってゆくと「岩屋まで100M」の道標があったので行ってみる。作業道の様な九十九折りの急登を登りきると人が3、4人入る程度の岩穴があった。この観音の岩屋は南北朝の昔、護良親王が吉野に逃れてきた際に啓示を受けた場所と言うことらしい。これまで登ってきた登山道の沿道にもいくつか看板があり、天川村と南朝とのかかわりが順を追って描かれている。

  
左:観音峰展望台より、山上ヶ岳、大日山、稲村ヶ岳
右:観音峰の山頂

再び分岐点に戻り、登山道を進む。道が細くなり、ようやく本当の登山道らしくなってきた。これまでの道が神社の参道だと考えれば納得がいく。最後に急な階段を登りきると視界が開けて観音峰展望台に到着。今にも雨が降りそうな天候だが、展望は素晴らしい。間近に見える観音峰(の肩)から山上ヶ岳、大日山、稲村ヶ岳、また弥山から麓の川合に続く山並みが一望のもとに見渡せる。景色を十分に楽しんだあと山頂へ向かった。まず背丈ほどのススキの中を鞍部まで下り樹林帯に入ると幅の広い尾根を直登してゆく。登山道の西側が杉林、反対側が雑木林と対照的なのが面白い。観音峰の山頂は樹林に覆われたなだらかな場所で展望は得られない。観音峰からは展望のないなだらかな樹林帯の縦走が続く。たまに落ち葉で踏み跡が消えている場所もあったがテープが十分に付けられていて迷うことはない。三ツ塚を過ぎ、急な坂道を下ると法力峠に出た。

  
左:稲村小屋
右:女人結界門

ここで今日初めて登山者に出会う。まだ早い時間なので登山者かと思ったら山上ヶ岳泊まりの下山者だった。登山道はここで再び登りに転じ、トラバース気味に順調に高度を稼いでゆく。観音峰展望台から眺めたときはかなりの急登を覚悟したが、道は良く整備され歩きやすい。途中から降り始めた雨の中を稲村小屋に到着。早速昼食にする。しばらくすると雨も止んできたので、時間もあるし予定になかった稲村ヶ岳に向かった。さっきの雨のせいで周囲がガスって何も見えない。ようやくたどり着いた稲村ヶ岳では再び雨にやられ、休憩もせず退散。大日山にも登りたかったのだが、雨の中テント装備でと思うとあっさり諦めた。山上辻まで戻り、ちょっとしたアップダウンのある登山道を歩いてゆくと女人結界門のあるレンゲ辻にでた。そこには女性が二人傘を差して立っていた。どうやら男性陣だけ上に行き、それを待っている様子。女人禁制だとこういう事になってしまうのか。

         
左:山上ヶ岳の三角点
右:小笹の宿(奧の建物が避難小屋)

遠慮がちに女人結界門を越え、先を急ぐ。ちょとしたトラバース道のあと岩場の急登が始まり何度も現れる梯子と格闘しながら前に進んでゆく。雨風をまともに受け、先の見えない急登に疲れがどっと出て来た。もう駄目、と思ったところで休憩。日頃の行いが悪かったのか。悩みつつも体が冷えてくるので考える余裕はなく、再び歩き始める。稜線に出ると不思議と雨は止んだ。ガスって幻想的な笹原を楽しみながら山頂へと向かう。山上ヶ岳の山頂は登山道から樹林帯に少し入ったところにあって、湧出岩という名の岩が祀られている。登山道に戻り、少し歩くと大峰山寺の本堂に出た。講社の人が集団で来ているようでかなりの人があちこちに散らばっている。ここでは線香をあげ、お守りを買った。九重守りといい、珍しく巻物の様な格好をしているお守りだ。大峰奧駈けと同じ御利益があるという話で3000円也。しばらく休んでから本堂を出て登山道をさらに南へ向かう。良く踏まれた樹林帯の道を歩いてゆくとやがて今夜の宿、小笹の宿に到着した。心配した混雑はなく、一番乗りである。避難小屋は4,5人がやっと寝られる程度の広さしかないが、結局この日は3人で十分な場所を確保して眠ることが出来た。

         
左:石畳の登山道
右:脇宿

同宿の人達は吉野から縦走しているとの事。次は同じ弥山まで行くという話だったが私は予定通り6時に出発する。小笹の宿を出るとしばらく古い石畳の道。苔に覆われた静かな樹林帯との調和が何とも言えない雰囲気を醸し出している。石畳が終わると樹林帯のまま道は下りに入り、少し登り返した分岐点が女人結界のあるあみだヶ森。そのまま奧駈道を南に向かう。斜めに降り注ぐ木漏れ日を楽しみながら縦走路を歩いてゆくとちょっとした広場のある脇宿に出た。ここで今回初めて修験者の人と出会う。登山者に対して言いたいことがあるらしく、「他人の話や地図に出ている水場を鵜呑みにしてやってくる者が多すぎる」というのを手始めに延々話を聞かされた。大峰の奧駈けは自分の目標でもあるので、後学の為にも素直に聞いておく。そして最後に「行動食は味噌が一番だね」というハイレベルなアドバイスを残して去っていった。気がつくと20分以上も過ぎていた。

         
左:小普賢岳から山上ヶ岳
右:大普賢岳山頂

遅れを取り戻すため、急ぎ足で歩いてゆく。脇宿谷の鞍部を過ぎ、大普賢岳への登りが始まった。太陽が山の向こうに隠れてしまったので辺りが暗い。経箱岩への分岐を見送り、ただただ樹林帯を登ってゆくと突然小普賢岳に出た。狭い山頂は樹林に覆われているが山上ヶ岳や大普賢岳は良く見える。ここからひと歩きで大普賢岳に到着。山頂はまさに絶景。時々ガスが流れて視線を遮られるが、山上ヶ岳、稲村ヶ岳、弥山、台高の山々、全ての方角に景色が広がる。ここでも主役は稲村ヶ岳を中心とした山並み。ちょうど昨日観音峰展望台から眺めた景色を裏側から見ている事になる。

         
左:大普賢岳から稲村ヶ岳、大日山
右:行者還小屋から行者還岳(崖になっている)

大普賢岳を下りても少しの間は景色の良い稜線が続く。ただ登山道はすぐに西側へトラバースしてしまい、やがて景色どころではない苦しい登山が始まる。鎖、梯子、階段の連続。特に危険なところはないが、登山道脇が崖になっている場所が何度かあって足がすくむ。いつのまにか国見岳を知らずに通過してしまった。やがて登山道は樹林帯の岩場となり、七曜岳に到着。両側が切れ落ちていてかなりの高度感がある。当然景色も最高だ。弥山が徐々に近づいてきているのが分かる。七曜岳を過ぎるとようやく穏やかな稜線歩きとなった。行者還岳に向かう分岐でザックをデポして上に向かう。行者還岳の山頂は樹林帯に覆われて景色を得られないのだが、踏み跡をさらに進むと崖の手前に出て南側に展望が広がった。弥山がもうかなり大きくなってる。絵にならないので写真を断念したほどの大きさだ。

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