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19世紀の末から20世紀の初頭において中央アジアは、各国の注目を集めた。
各国の探検隊が挙って西域と呼ばれる地域に足を踏み入れ多くの発掘遺物を発見し
た。その結果西域文化研究が著しい発展を示すことになる。
当時我が国からも中央アジアに探検調査に向かった人々がいる。
西本願寺の大谷光瑞である。彼は昭和九年に伊東忠太に設計さしたインド・アジャン
タ様式の伽藍を東京の築地に、西本願寺別院として建てた人物でもある。 ![]()
本論文では、前後三回にわたる大谷探検隊の概要について述べ、ついでミイラが
出土した地であるトルファンを中心に論を展開していき、そしてトルファンを歴史的、
風土的に又トルファンから出土した遺物ついても考察していきたいと思います。
幸いなことに、私は京都文化博物館で開かれた「旅順博物館所蔵品展」において
旅順に流出していた大谷コレクションの一部を眼にするという貴重な体験をし、又
東京国立博物館の東洋舘で展示されている将来品を見てきました。
このことは、本論文を書くにあたり、おおいに参考になる出来事であった。
この経験を生かし、シルクロードにおける大谷探検隊の業績について言及してみたいと
思います。
この四章から構成されていますが、ここでは前書き(はじめに)、そして後書き(おわりに)を、著作者
の許可を得て転載する運びとなりますた。次回は5月に第一章から連載していきたいと思います。
H.F氏の論文を骨子とし、資料及び写真等は 東京国立博物館図版目録・「大谷探検隊将来品篇」
この中から選んで公開します。ご期待ください。管理人が公開している全ての資料は今後安易に手に入
るものではありません。特に近代建築の分野を研究する若人に見ていただき参考になれば管理人とし てはホームページを立ち上げた意義があったと思います。
私がここで述べたいのは、大谷探検隊の特徴である。
あの当時各国はシルクロードに探検隊を送り込んだ。当然彼らにも特徴があったが、
其れは調査方法などであった。大谷探検隊は彼らとは根本的に異なる面を持っている
のである。其れは彼らが仏教徒であったということである。言うまでもなく中心人物であ った大谷光瑞は西本願寺の法主の地位にあった人であり、又探検に従事したのも門 徒であった人々である。
他の探検隊が考古学、人類学、古代言語学的にアプローチしたのに対し、大谷探検隊
は仏教的にアプローチしたのである。大谷光瑞は「西域考古図譜」の序文の中で次の ように述べている。
彼らは僧侶であったがゆえに探検を行ったのである。仏教の研究を行う為に。
だが、彼らが仏教徒であったがゆえの弊害も多々ある。まず彼らが専門家ではなかっ
たゆえに資料の整理、分類、そして出土場所が曖昧であったり、全く記録されていなか ったりするのである。これでは資料としての価値は下がってしまい、又持ち帰った資料 を研究する上でどうしても偏りがちになってしまう。美術考古資料よりも文敵、古文書、 すなわち経典類のほうへ研究のウェイトが置かれてしまうのである。
「東京国立博物館図版目録・大谷探検隊将来品篇」によると日本に到着した発掘品
は、京都大学の松本文三郎・狩野直喜・桑原隲蔵・小川啄治・内藤虎次郎・榊亮三郎・ 富岡謙蔵・浜田耕作・羽田享、それに東大教授で京大講師であった滝精一らによって 調査研究されたが、考古美術史的関係は、浜田耕作、滝精一の二人にすぎない。また 大谷光端は、全ての資料を研究機関に預けるようなことをせず、多くのものを手元に置 いたのである。このことが、コレクション離散を招く一因となるのである。
しかし、悪いことばかりではない。仏教徒であったがゆえに、ミイラは持ち帰られたの
である。仏教徒であった彼らは、死者に対して特別な想いがある。それがミイラと言う 形をしていてもである。
諸外国の探検隊はミイラを軽視したのに対し、大谷探検隊は敬虔な気持ちでミイラに
接し、扱い、持ち帰ったのである。大谷探検隊だけがシルクロードよりミイラを持ち帰っ た事は、非常に意味があることである。
「西域文化研究」第二巻で小笠原宣秀氏が、吉川小一郎より聞いた事として次のよう
な記述がある。「墳墓を掘るという點については手に數珠を握り、小經を讀誦して冥 を祈るを念頭に置いた」このように死者に対しての冥b祈る気持ちが、彼らの探検隊 としての特色、すなわち仏教徒であることを示している。
私が出土品の中からミイラを、第四章で取り上げたのはこのためである。彼らは仏教徒
であったからこそ仏教東漸の道であるシルクロードを目指したのであり、前後三回にも わたって探検調査したのである。あの当時日本は国家としては探検隊を派遣していな いのである。又日本に於いて他の探検隊は組織されなかったのである。
大谷探検隊はシルクロードで活躍し、決して少なくない資料を発掘調査した。
其の発掘品により日本でシルクロード研究がなされたのであり、現在でもされているの
である。
第三章で述べますが、今日多くの将来品は外国に離散しました。しかし幸いにも日本
に残っているものは、東京国立博物館で実際に目にすることが出来る。それに、何処 に保管されているにせよ、世界的な視野で見て、又研究という観点で見れば、大谷探 検隊の業績は非常に意味がある事である。 ![]() ![]()
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