追想の山々1299  up-date 2002.03.06

信州100名山を日帰り4座  冠着山 聖山 子檀嶺岳 独鈷山

冠着山(=姨捨山) 1252m 登頂日1993.11.20 単独行
▼東京(2.00)===佐久IC==上山田温泉==林道登山口(6.00)−−−冠着山(6.25-30)−−−林道登山口(6.55)===聖山へ移動
▼聖湖===聖峠先の別荘地内登山口(7.45)−−−聖山(8.10)−−−登山口(8.25)===子檀嶺岳へ移動
▼修那羅峠===坂井村役場(9.30)−−−子檀嶺岳(10.50-55)−−−坂井村役場(11.20)===独鈷山へ移動
▼鹿教湯温泉===霊泉寺温泉入口(独鈷山登山口)===車道行き止まり(12.30)−−−独鈷山(13.20)−−−下山(14.00)===霊泉寺温泉入浴後帰京
所要時間 冠着山55分  聖山40分  子檀嶺岳1時間50分  独鈷山1時間30分   合計 4時間55分
冠着山(1252m)=56
冠着山山頂
『更級山』ともいう。
天の岩戸を背負って来た天手力男命がこの山で休み、冠をただしたので冠着山の名がついたといわれる。養老伝説、月の名所として奈良・平安時代より有名で、この山を詠んだ歌も多い。古今集に『わがこころ なぐさめかねつさらしなや 姨捨山に照る月を見て』とある。
大和物語には、 更級の里に住む男が自分を育ててくれた老いた姥をこの山に捨てたが、恩を思って連れ帰ったとの話があり、以来姨捨山といわれるようになったという。(日本山名辞典より)  

古の都にまで知られた月の名所姨捨は、また田毎の月ともいう。冠着山から千曲川への傾斜地に、大小無数の棚田が拓かれ、小は蓑の下に隠 れてしまう1坪ほどのものまで、水の引かれたその田の数だけ月が映し出されるのだという。  

予定どおり自宅を午前2時出発。佐久市まで高速道路が伸びたお陰で早い。
上山田温泉から冠着山登山口のある林道がわからず、タクシー会社で教えてもらう。寝静まった温泉街に木枯らしが吹き、落ち葉が風のままに迷い舞っていた。
舗装された立派な林道をどんどん上って行く。枝道があったりしてちょっと戸惑ったが、うす明るくなって来たころ、無事『冠着山登山口』の標識を見つけた。駐車スペースは十分。山頂までの高低差は200メートルほど、その頂には霧がかかっている。
ようやく足元の見え始めた6時、登山口を出発。自動車の通れるほどの砂利道を5分ばかり行くと登山道となる。緩い登りはすぐに尾根へ出る。ガスの切れ間から千曲川沿いに、まだ 明け切らぬ町並に民家の灯がちらちらとまたたいている。
途中北面の展望地に北アルプスの展望案内板があったが、景色はすべて雲の中。山頂までは25分ほどだった。
濃い霧と、薄明の山頂は風が冷たい。三等三角点が霧に濡れている。神社は古びた建物の中に祀られ保護されていた。備え付けの登山者名簿に記名する。広い山頂には登頂記念のプレートやら標柱が乱立、芭蕉の句碑、鳥居、展望盤と実に賑やかである。
芭蕉の句碑には「更級や 姨捨山の 月ぞこれ」と刻まれていた。
天気がいいと北アルプスをはじめとして、信越、中信の山々の展望が堪能出来るはずだが、今日は山頂を踏んだのみ。今にも降り出しそうな空を気にしながら登山口へ戻った。
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