鬼平犯科帳おにへいはんかちょう』と圓通寺

境内点描
境内点描

 池波正太郎いけなみしょうたろうさんの『鬼平犯科帳おにへいはんかちょう』の研究家として知られる西尾忠久・多摩美術大学講師のお話によると、『鬼平犯科帳』には、江戸市中と近郊あわせて二百六ヶ寺の寺院が登場するそうですが、その中に 圓通寺の名前も一回だけ登場します。 『盗賊婚礼』という物語の冒頭に、「長谷川平蔵はせがわへいぞうの実母のお墓が圓通寺に在る」という設定で登場しています。
 『鬼平犯科帳』をお読みの方はよくご存知でしょうが、 平蔵の実母の「おその」という人は、平蔵を生んですぐに亡くなってしまい、そのお墓はお園さんの実家である巣鴨の三沢みさわ家の菩提寺、つまり圓通寺にあるということになっています。 そして小説では、或るうららかな春の一日、平蔵は巣鴨の三沢家を訪ね、仲のよい従兄の仙右衛門せんえもんとともにのんびりと母のお墓参りに出かけます。 その帰り道、圓通寺を出てすぐの一軒の料理屋での昼食の場面から、物語は展開していきます。その部分を引用させていただくと、次のように描かれています。

 それから十日ほどを経たある朝。
 (いてみても、はじまらぬことよ)
と、平蔵は清水門外の役宅から、騎乗で出て久しぶりに巣鴨村の三沢仙右衛門をたずねた。
 巣鴨の大百姓・三沢家は、長谷川平蔵の実母・お園の実家であり、仙右衛門は、平蔵の従兄いとこにあたる。先年、家を長男の初蔵にゆずった仙右衛門は五十八歳の気楽な隠居で、
「ちょうどよい。平蔵さまよ。わしは、これから、お墓詣りに出ようとしたところですよ。久しぶりで、いっしょにいかがか?」
とさそった。
「仙どの。わしも、そのつもりでまいったのだ」
というわけで、二人の呼吸は、いつもぴたりと合う。
 三沢家の墓は、駒込・片町の円通寺にある。
 平蔵の母・お園は、父・宣雄のぶおの本妻ではない。したがって、墓は実家の三沢家の菩提寺ぼだいじにあった。
 平蔵と仙右衛門は、昼前に三沢家を出て、円通寺に向かった。歩いても、さほど遠くはなかったけれども、平蔵は追分の駕籠屋〔増源〕から駕籠かごをやとい、 仙右衛門を乗せ、自分は騎馬で駕籠につきそうかたちとなった。
 めっきりと春めいてきた陽射しにつつまれ、仲のよい従兄と実母の墓参におもむく一日。平蔵は何もかも忘れかけている。
 墓参をすませたのち、
「今日は平蔵さまよ。ちょと、おもしろいところで昼餉ひるげにしましょう」
と仙右衛門がいう。
「ほほう。この近くかな?」
「さよう、さよう。すぐ、目の前で」
円通寺から中仙道へつづく往還へ出ると、通りの向う側の彼方に、駒込神明宮の森がのぞまれた。
 岩つき街道とよばれる往還から、神明宮の鳥居と森がのぞまれる。
 往還に面した駒込富士前の家並みの中に、仙右衛門がいう「おもしろいところ」があった。
 それは〔瓢箪屋ひょうたんや〕という料理屋で、風雅なわら屋根の、いかにも田舎ふうな店構えながら、中へ入るとちりひとつさえ嫌いぬいた、清げな座敷が四つほどあり、 中庭から裏手にかけては、さわやかな竹林になっていた。
「これはよい」
 平蔵は、たちまち気にいってしまった。

(『鬼平犯科帳、盗賊婚礼』 文藝春秋刊 より)    

圓通寺

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