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シンブル thimble | |||||||||||||||||||
シンブルとは シンブルは裁縫道具として世界中で生産され使用されて来ましたが、シンブルはいつ頃作られどのように発展して来たのでしょうか?その歴史を主なコレクションの対象となる欧米を中心に見てみましょう。ここでは、優れたシンブル・コレクションの解説書である 「Thimbles and Thimble Cases 」(Eleanor Johnson 著)から抜粋しています。 シンブルがいつ頃から作られ始めたかは不明ですが、古代から針とともに使用されていたと想像されます。それは糸と織物が衣類に利用されるようになったおおよそ5千年前にさかのぼりますが、当時のシンブルは皮製であったと考えられるため、その証拠は残されていません。 帆船が作られるようになると、帆を縫う必要から、手を保護する目的で手のひらを皮や金属のプレートで覆うようになりました。また、当時の糸は粗く、針も滑らかでないため裁縫を行う際には何らかの道具で指を保護する必要がありました。 初期のシンブルは銅(ないしは銅と錫の合金)あるいは鉄製の、現在の日本で使われているようなオープントップ(指の先端が覆われていない指輪状のもの)のものでした。 文明の発達とともにより精巧な衣服と家庭での必要性から裁縫道具が発達し、それとともにさまざまな用途のシンブルが現れました。その中で真鋳製のシンブルが一般的に使用されるようになりました。
17世紀には銀製のシンブルが使われ始め、さらに、洗練された婦人たちが裁縫を始めるようになると、次第にその他の貴金属も使われるようになりました。その結果、裁縫は中・上流階級の婦人の嗜みや楽しみとみなされるようになりました。シンブルは、街では呉服商が多数扱っており、また玩具や装飾品を扱う店で買うことができ、田舎では行商人や定期的に開かれる市で買うことができました。 19世紀には工業化が進み、さまざまな生地が生産されるとともに、ファッションの開発がいっそう早くなったため、より多くの針仕事が必要となり、シンブルにもさまざまな変化が生じるようになりました。ビクトリア時代にはそれまで手作業であったシンブルの生産が機械化され、さまざまなデザインのシンブルが生産されるようになりました。 このころのシンブルの形は主に生産者独自のもので、1890年以前は単に女性用と子供用に分けられていましたが、1900年以降は9〜00サイズとなり、高い番手ほど小さなシンブルとなりました。 現在、コレクションの対象としては、さまざまなデザインのものが作られ値段も手ごろであることなどから磁器製シンブル(porcelain thimble)が最も一般的です。 19世紀前半には多数の美しい磁器製シンブルが生産され人気を博しましたが、その当時のものは現在ではほとんど残っていないため大変高価になっています。この時代の代表的な磁器メーカーであるロイヤル・ウースターは長い期間シンブルを生産しましたが、生産された年代はシンブルの内側のマークとその有無でおおよそ特定されます。 これらのシンブルは特有のクリーム色の下地に鳥に代表される絵柄が手書きで絵付けされ、作家のサインが記されています。作家としては特にウイリアム・パウエル William Powell(製作期間1900〜1950年:Sue Gowan「Learn more about Royal Worcester Thimble Painters」より)が有名です。ロイヤル・ウースターは1985年に手書きのシンブルの生産を中止しました。
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