追想の山々1002  up-date 2001.02.01

≪尾瀬をめぐる山行≫

1988.07.10 熊沢田代から燧ケ岳へ
1988.07.31 至仏山から尾瀬ケ原へ
1993.05.01 山スキー 尾瀬ケ原から景鶴山へ
1995.05.03 残雪期の尾瀬ケ原と景鶴山へ
199509.23 熊沢田代→燧ケ岳→三条の滝→燧裏林道
1996.05.11 残雪期の尾瀬沼へ
1996.06.27 菖蒲平から尾瀬ケ原へ

 尾瀬・景鶴山(2004m) 登頂日1995.5.3 単独行 晴れ・曇り
東京大田区(23.45)−−−鳩待峠(4.00仮眠5.20)−−−山の鼻−−−ヨッピ橋(7.15)−−−与作岳(9.25)−−−景鶴山(10.30-10.35)−−−ヨッピ橋(12.20)−−−山の鼻−−−鳩待峠(15.30)
所要時間 含休憩 10時間10分 登り 5時間10分 下り 5時間
 ≪再訪の景鶴山≫

 前回・・・それは2年前、同じゴールデンウィーク、戸倉から鳩待峠への道路が開通する直前だった。スキー靴を履き、スキー板を担いで、鳩待峠までてくてくと3時間の車道歩きだった。その道を今回はマイカーでわすが15分余で上がってしまった。
そのときの日程は入山で1日、景鶴山登頂で1日、下山で1日、都合山小屋2泊の計3日行程であったが、今回は日帰りプラン。 

2年前のその年は、尾瀬ケ原はまれに見る残雪で、2メートルの厚さで原を覆っていた。入山のその日、鳩待時には雪が舞い、季節外れの寒波に列島が震えていた。幸いなことに景鶴山登頂の日、その時間だけ奇跡的に天候が回復、曲がりなりにも登頂を果たした。とは言え酷い靴づれの痛みに耐えながら、足を引きずっての登頂は、まさにただ形だけ登ったというもので、いつの日かもう一度ちんとした登頂をしなければと思っていた。

 

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与作岳から見る景鶴山(下山時に撮る)

早めに鳩待峠まで入り、夜明けまで仮眠の予定だったが、道路の渋滞にあって1時間ほどの延着。広い駐車場は昨日の道路開通でほぼ満車の状態、シュラフに入ってうとうとすると既に5時を回って、夜はすっかり明け切っていた。
日帰りの景鶴山往復は時間との戦い、急いで身支度をして出発。霧が流れてどんよりとした雲に覆われている。スキーを履いて山の鼻めがけて滑走開始。順調に滑れたのは最初だけ、雪は少なく露出した岩でスキーを外し、あとは平坦となった道をスキー歩行。
山の鼻でシールをつけ、尾瀬ケ原を縦断して行く。至仏山も燧ケ岳も山頂には雲がかかり、雨が案じられる。前回の靴ずれの恐怖体験を教訓に、今日は用心して足にはテープをべったり貼ってきた。 

ふだんは木道以外立ち入り禁止の原も、積雪のこの時期はどこでも自由気ままに歩くことができる。竜宮小屋方面と東電小屋方面との分岐標識で東電小屋への道をとり、まっすぐヨッピ橋へ向かう。ここから登りの取り付きまで約33キロ。一部雪が消えて池塘が顔を出している。雪も前回よりかなり少ない。拠水林へ入り、ヨッピ川へ注ぐ下の大堀にかかった。水面の開いた高脚の木道に、いやな形の雪の塊が残っている。これを渡るのが大変だった。体重の重みで雪が欠けて、もろとも水中へ落下する恐れがある。今日は比較的気温は高めとはいえ、濡れ鼠になったらそれこそ命にもかかわる一大事。安全を確かめながら慎重に一歩一歩進んで行く。途中木道がXの字に落下しているところは冠水状態、靴を脱ぐのが面倒で、そのままジャブジャブとスキーのまま渡ると、ビンディングが甘かったせいか水が浸入してしまった。

ヨッピ橋

後は問題なくヨッピ橋へ到着。ヨッピ橋は、前回踏み板がついていたのに、今日は鉄の骨格だけの姿。踏み板は外されたままだ。これではスキーを履いて渡ることはできないし、また担いで渡るにしても危なっかしい気がする。
ヨッピ橋にスキーをデポして、スキー靴のツボ足で登ることにした。 

仰ぎ見ると与作岳から景鶴山へかけての稜線には雲がからみついている。稜線の視界はどうだろうか、ふと不安がよぎる。鉄骨に足を置いて、おっかなびっくりヨッピ橋を渡る。ヨシッポリ湿原を横切るとこの前と同様、東電小屋手前で与作岳から派生して来る尾根への登りにとりついた。
一面の雪世界だが、その積雪は前回よりかなり少ない。景鶴山南面のケイヅル沢の沢芯は雪崩の痕も生々しく、茶色く地肌を見せている。
動くものを視野に感じて目で探すと、狐が立ち止まってじっと私の動きを観察している。しばらく目を合わせていたが、私が目を動かしたとたんに雪の斜面をかけ登って、瞬く間に視界から消えてしまった。

雪さえしっかり締まっていれば、スキー登高よりツボ足の方が楽だ。しばらく登って1538メートルの小ピークを西に巻いて尾根上に出ると、明瞭なアイゼン跡や、少し古い坪足歩行の跡が見える。何となく心強い。それでも念のために、用意して来た笹に赤布を結んだ標識を雪面へ立てて行く。前回は、前夜数センチの新雪があって何の目印もなく、左手樹間にうかがえる景鶴山を頼りにして、一人慎重にルートファインディングをしながら、スキーで喘いだ登りだった。今日は見通しが悪い反面、はっきりしたトレールが助けてくれる。

それにしても尾瀬周辺囲の山のうち、至仏山や燧ケ岳には登山道があるのに、景鶴山だけがなぜ登山道を閉鎖し、入山禁止としてしまったのだろうか。 小潅木は雪の下に埋もれ、ブナやダケカンバの大木が美しい樹林を見せ 根回りだけ雪が解けて大きな穴になにっている。穴を覗くと雪の深さは1メートルから1メートル半程だ。靴ずれに注意しながらゆっくり足を運んで行く。何回か緩急の登りを繰り返し、順調に高度をかせいで、いつしか樹相はシラビソの疎林帯にと変化して、尾根は北西から西方へと向きを変え、与作岳へと向かって行く。
いくらか見通しも出て来たが、傾斜の緩んだ尾根は一気に広くなってきた。このあたりコースを徐々に西へ振って行くタイミンダがむずかしい。景鶴山の見通しがきけば、それを目標にしてコースを振って行くのが間違いがない。

雪に覆われた広い山稜に、矯樹のシラピソが点在する景色は確かに絵画的であり、清新な風景である。与作岳山頂はシラビソの点在する広い円頂で、アイゼン跡の青年が休憩していた。幕営装備の大ザックだ。至仏山まで縦走の予定とのこと。しかし天気が芳しくないのでどうしようかと思案しているところだった。与作岳からは景鶴山が目の前に見えるはずだが、今日は雲の中。見えていれば、その姿を目指してワンピッチで行ける距離である。

アイゼン、ツェルトなど不要なものはシラビソの根元に残して景鶴山を往復することにした。この先にも古い足跡が確認できたが、念のためコンパスで方向を確かめてから、雲に隠れて見えぬ景鶴山へ向かった。ゆっくりと80メートルほどの高度差を、シラビソの間を縫うようにしてなだらかに下って行く。

景鶴山山頂

コルまで下ってから再びの登りにかかる。左手の雪稜を直登して行くのがコースだが、残された明瞭な足跡が直登でなく山頂の北側へ巻いて行く。前回はこれを直登したが、今日は霧で視界を遮られ、雪庇の状態等が確認できないのが少々不安。以前、何かの記録で『西側から山頂を目指した方が楽である』というような情報を読んだ記憶がある。巻いているこの明瞭な足跡は、そのコースであろうと推測される。そう解釈して足跡を追って山頂を巻いて行った。 

景鶴山頂の北側をトラバースするように通過したが、足跡はいっこうに山頂への登りとならない。どうもおかしい。これは至仏山方面へ縦走ルート用の巻き道の可能性が高い。ようやくそれに気がついた。巻き道を捨てて強引に山頂目指して雪の急斜面へとりついた。キックステップで四つん這いになって斜面を這い登って行った。ステップの足元が崩れたら、ひとたまりもなく雪斜面を滑落。落ちたら止まれるか。そんな不安を感じながら一歩一歩登って、最後はシャクナゲの密生する薮をかきわけると、ようやく岩稜へたどりついた。たいした距離ではなかったが、緊張で大いにびびった登りだった。そこは痩せた岩の稜線で、岩の周囲だ雪が消えて巨岩が露出している。ようやく山頂の一角にたどりついたようだ。しかし山頂を示す何物もない。前回の記憶をたどったりして、本当のピークはどこにあるのか?見当をつけて慎重に東方へ進んでみる。うまい具合に足跡があらわれて“景鶴山”のプレートのある山頂にたどりつくことができた。まさにたどりついたという感じだった。
残念ながら展望はない。残雪豊富な平ケ岳あたりの山々は、稜線を雲に隠して連綿と重なりあっている。足下のヨサク沢は、雪崩の跡こそ生々しいものの、すでに落ちるべき雪は落ちつくしているようだ、この沢をまっすぐ下ればヨッピ橋までわけないだろう。

ヨシッ堀から与作岳

帰りの所要時間を考えるとゆっくりもしていられない。記念写真を撮ってすぐ下山にかかった。幸いにもガスが切れてきた。コンパスを使い、見えているのが与作岳であることを確認して、今度はコルへ向かって急峻な雪稜を真っすぐ下って行った。与作岳まで戻り、緊張が緩んでパンとジュースで休憩、残した荷物をまとめて、登って来たときの足跡をたどり、目印に残した赤布を回収しながら尾瀬ケ原へと下って行った。
ヨシッポリ田代まで下ると、隅の方にある水の開けた湿原に水芭蕉とリュウキンカが花をつけていた。

ヨッピ橋を渡ったところで初めて本格的な休憩を取った。雪面に頭だけ出している標柱に、へたりこむようにして腰を下ろした。汗の結晶で顔がざらざらしている。予想以上の疲労であった。口に含んだジュースが、あたかも海綿が水を吸い込んで行くように、体の隅々に浸透して行くのがわかる。振り仰ぐと景鶴山から与作岳にかけての稜線が、今ごろになってはっきりと見えて来た。
靴を脱いで靴ずれの様子を確認したが、右足の小指とかかとに小さいマメができているだけだった。帰りを急く気持ちが先に立って、結局20分の休憩で腰を上げてしまった。
再びデポしたスキーを履き、今朝方歩いた木道冠水のコースを避けて、ひとまず尾瀬ケ原縦走路へ出てから、真っすぐ山の鼻へ向かうことにした。今朝方はほとんど見かけなかったハイカーの姿が原の中を点々とつづいていた。ファミリー、熟年グループ、クロカンの団体・‥つぎつぎと行き交う。積雪状況から見ると、今回は山スキーより登山靴の方が正解だったと思う。

牛首を過ぎて山の鼻が近いと思ってからが遠かった。時間にすれば年首から山の鼻までせいぜい20分から25分、それが1時間も歩いたような気がした。それだけ疲労感が強かったということ。山の鼻小屋の先で川を渡り、ここで休憩を取り疲労回復をはかる。このあと鳩待峠まで200メートルの登りをシールスキーで歩く気になれず、ここでスキーをザックにくくりつけた。途中休もう休もうと思いながら、休むのも面倒なほど疲れがたまっていて、ついに休憩をとらないばかりか、何人かを追い越してコースタイムどおり1時間10分で鳩待峠へ帰り着いた。

ぽつりぽつりと雨粒を感じていたのが、鳩待峠着を待っていたように本降りに変わった。日本三百名山のうち、登山道がない等の理由で登頂が難しいとマークしていた山が10座前後あるが、景鶴山もその一つ。天候不芳のため、再訪にもかかわらず会心の山行とは言えなかったが、一応の成果ある登山であった。 

前回の登頂とくらべて、靴ずれに悩まされなかった分楽だったとも言えるが、それでも肉体的、精神的な負担感は大きく、この景鶴山は日本三百名山の中で強く記憶に残る山の一つになることだろう。

          【参考メモ】             残 雪 期 登 山(58歳)

登山道のないこの山へ登るチャンスは残雪期に限られます。ゴールデンウイークでも人に会う確立は低いかと思います。私もその時期に2回登ったのですが、いずれも誰ともあいませんでした。
少し強行ですが、日帰りで残雪の山を楽しめますし、山スキー愛好者にとっても格好のコースだと思います。スキーの場合は一つだけネックがあります。それは帰りに山の鼻から鳩待峠までの登りを、ほとんどスキーをかつぐことになるということです。


●2年前に、竜宮小屋に泊まって翌日登頂したことがあります。バス開通前で、戸倉から鳩待峠まで、重いスキーを背負って3時間の歩きでした。ところが、どういうバスか知りませんが、登山者を乗せた小型バスが三台ほど追い越して行ったのを見て、いやになってしまいました。このときは山頂付近まで山スキーで登りました。

●上のコースタイムは2年後、二回目の登頂時のものです。今度はバスの開通を待って出かけました。
景鶴山は登山道がないというだけでなく、正式には水源保護か何かの理由で入山が禁止となっている山です。いろいろ調べて、東京浜松町にある尾瀬林業の営業所のようなところへ出向いて、入山の許可を取ろうとしたのですが、特別の理由がないとだめだと断られてしまいました。たとえば学術的な調査、自然保護活動などが許可理由になるようです。
山を汚したり自然を傷めるような行為をするわけではないので、多少うしろめたさを感じながら無断で登ることにしました。

●以下は2回目に登ったときの模様です。

鳩待峠で1時間ほど仮眠してから、スキーを履いて山の鼻へ向かいました。山の鼻までは下りですが、順調に滑れるのは最初だけで、あとは露出した岩、少な目の雪で思うように滑れません。
山の鼻へ下り着くと、尾瀬ケ原はまだ完全に雪の下です。スキーにシールをつけてヨッピ橋までは問題ありません。ただし、地図25000図源五郎堀、1404m標高点からヨッピ橋へ向かって東北に伸びる破線がありますが、途中「下の大堀」を渡る高脚の木道に、いやな塊で雪が残り、ここを渡る時下手をすると水中に落ちる危険もある。水中へボチャンしたら命にもかかわる、冷や冷やしながらの通過でした。

この年はヨッピ橋の踏み板がまだ外されたままで鉄骨状態、スキーを持って渡るのが面倒に思い、橋の手前へデポして、後は歩きにしました。雪もかなり締まっていて、坪足でもそれほど沈むことはありません。
ヨッピ橋を渡ってヨシッ堀田代を東電小屋方面へ少し進み、群馬・福島の境界線にぶっつかるあたりで、それまで真東の東電小屋方向だった進路を、県境沿いの北東へ変えましたて。田代の縁まで進んだところで、登りやすそうな斜面を選んで潅木の中を1537メートル三角点めがけて登って行きます。潅木はすぐに消えて、ブナなどの樹林帯の雪上登高になります。気分爽快の登りです。
私を珍しそうに見つめている動物と目が合う、キツネの歓迎(?)でした。
1回目はスキーのシール登高ったが、これだけ雪が締まっているとつぼ足の方が楽です。積雪は前回の半分以下でしょう。

1537m三角点まで行かずに、手前でトラバースして、後は県境線に沿って高度を稼いで行きます。曇りですが見とおしはまずまずです。
真北に取っていたコースを、1653メートル標高点あたりから、少しづつ左(西寄り)に振って行きますが、この辺からは雪上に見えるのは矮樹のシラビソだけです。同じような景色ですし、尾根も広いので、ガスっているときは、特に方向に注意したいところです。念のため赤布の目印を残しながら進むことにしました。

標高1800メートルあたりまで登ると、いつの間にか方向は真西に変っています。登りでは間違えることはないと思いますが、下山時にここで方向を大きく変えなくてはならないことをしっかり頭に入れておかないと、見通しが悪いと大きく外れてしまうおそれがあります。できれば赤布などの目印を残したほうが無難でしょう。

さて、真西に向きが変るとすぐに広い与作岳の頂上です。目の前に景鶴山が迫っています。
天気さえ良ければ、一旦コルまで下ってから山頂めがけて稜線を上り詰めて行くだけです。長くはありませんがかなり急な雪斜面の登りです。表面が氷化している時にはスリップに気をつける必要がありそうです。
与作岳からコルへ下ってから、景鶴山を北に巻いて大白沢方面への踏み跡があることもあります。それにつられないように気をつけてください。私はかすかに残るその踏跡に引きづられてましい、結局景鶴山の山頂直下を巻いて西側へ出てしまいました。(山頂へは、このほうが楽もしれないと、勝手に推測したのが間違いでした)
西側に回ったところから山頂までのわずかの登りを、大いにてこずりました。

山頂は岩稜の一角にありました。雪は消えて岩が露出しています。「景鶴山」という手作りの小さなプレートがいくつか、シラビソの幹に括り付けられているだけの狭いピークでした。天気が良ければ、平ケ岳や燧ケ岳など奥会津の山々が間近に望めるはずだが、周囲の山々はすべて雲に閉ざされていました。

帰りは鳩待峠まで吹雪模様となってしまいました。思いがけない季節外れの寒波で、あっちこっちの山で遭難が発生しました。
1993.05.01 山スキーによる景鶴山登頂はこちらへどうぞ