追想の山々 1016    up-date 2001.05.10

≪尾瀬をめぐる山行≫

1988.07.10 熊沢田代から燧ケ岳へ
1988.07.31 至仏山から尾瀬ケ原へ
1993.05.01 山スキー 尾瀬ケ原から景鶴山へ
1995.05.03 残雪期の尾瀬ケ原と景鶴山へ
199509.23 熊沢田代→燧ケ岳→三条の滝→燧裏林道
1996.05.11 残雪期の尾瀬沼へ
1996.06.27 菖蒲平から尾瀬ケ原へ

燧ケ岳(2346m) 登頂日1988.7.10  単独
 
御池(4.30)−−−熊沢田代(5.40)−−−俎ー(6.30)−−−熊沢田代(7.10)−−−御池(8.05)                                
 強雨を押しての登頂

燧ケ岳登頂は1988年7月と1995年9月の2回です。
これは最初の登頂記録です。
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前夜キリンテキャンプ場泊。午前3時。まだ降り止まぬ雨の音を聞きながら、さて今日の燧ケ岳はどうしたものかと思案。前日登った会津駒ケ岳の疲れはあまり残っていない。
ほのかに白みはじめた時刻、山々を仰ぎ見れば霧が動いている。天気は回復するかもしれない。しばらく迷ったが、予定通り燧ケ岳を登ることにした。  
4時5分、小雨交じりの乳白の濃霧の中を自動車で御池登山口へ。御池着 4時20分、沼山峠への車道ゲートの開くのを待っている登山者の動 きが、薄明の霧の中に影のようににじんで見える。     

午前4時半、駐車場を出てすぐ燧裏林道の道を分けると、ぬかるみの急登にかかる。昨夜来の雨で、道はいたるところ水たまりと泥で、靴がずぶずぶともぐって始末が悪い。なんとか避けながら歩く。
薄暗い樹林の中、じぐざぐ急登を木の根、岩角をからみながら攀じるきついアルバイトがつづく。突然目の前が開けて明るい広沢田代にとびだし、鬱陶しさからようやく解放された。ガスで眺望はきかないが、雨の方は小降り状態でなんとかとどまっている。
湿原に点在する池塘を取り囲むように可憐に咲く花々、とりわけチングルマの群落が目を奪う。それにヒメシヤクナゲ、コバイケイソウ、ハクサンコザクラ・・・ガイドブックどおり、ここは高山植物が豊かに咲き競っている。  

行く手にあるはずの燧ケ岳は、霧の中に姿を潜ませて目にできない。ふたたび樹林の道に入ってひとがんばりすると小さなピークに到達。そこからは熊沢田代の湿原が大きく広がっている。写真で目にする風景そのままである。規模は尾瀬ケ原に及ばないが、押し寄せるハイカーや観光客もなく、静寂な環境が保たれている。
木道は弧を描くようにして鞍部に達し、 再び山腹の登山道へと消えていく。微妙に変化する曲線を持った池塘が散らばっている。それが互いに調和を保ちながら印象的な景観を形づくっていた。雨の中だからこそこの景観が一段と印象深いのかもしれない。  

樹林の中へとつづく最後の登りにとりかかると、雨脚が強くなってきた。いくつかの小沢をまたぐ。最後の沢はびっしりと雪が詰まり、約300メートルの雪上登高となった。スプーンカットの雪面を滑らないように慎重に登る。
降り しきる雨で、登山道は川と化してしきた。荒れ模様の天候への不安と、何かにせかされるような思いに、更にピッチを上げて先を急いだ。
ハイマツ帯の中に岩が現れると、そこが山頂の爼ーだった。狭い岩峰の頂きに、石の祠が横殴りの雨にうたれている。眺望はゼロ。傘をさして記念写真を撮る。眺望もなく、頂上に立っているという実感も薄いが、この強雨の中でここに立てたという事実だけで十分である。
また一つの山頂を征服したという喜びが私に満足感を与えた。  

この雨ではとても柴安ーまでは行けない。風雨に追われるように早々に下山につく。雨は一層激しく、もはや流れる水を避けて歩くことなど不可能で、じゃぶじゃぶと靴を濡らして、転ばないことと、道を間違わないことに神経を集中して足早に下った。

熊沢田代まで下ったころ、黒雲の一角が少し明るい雲に変わり、雨も小降りとなってきた。北東の方角に会津駒ヶ岳、北西に平ケ岳かと思われる山容がうっすらと遥かに望めたが、山名は定かではない。
御池に降り立ったのが8時05分、 結局3時間25分での往復だった。あまりの早さに自分でも驚いた。  
登り終われば、雨もよし、花もまたよしの山であった。
1995.09.23 燧ケ岳〜燧裏林道はこちら