追想の山々1465
≪尾瀬をめぐる山行≫ 1988.07.10 熊沢田代から燧ケ岳へ 1988.07.31 至仏山から尾瀬ケ原へ 1993.05.01 山スキー 尾瀬ケ原から景鶴山へ 1995.05.03 残雪期の尾瀬ケ原と景鶴山へ 199509.23 熊沢田代→燧ケ岳→三条の滝→燧裏林道 1996.05.11 残雪期の尾瀬沼へ 1996.06.27 菖蒲平から尾瀬ケ原へ |
●戸倉(5.40)−−−休憩2回20分−−−鳩待峠(8.35-9.10)−−−山の鼻(9.40-9.50)−−−竜宮小屋(11.00)・・・泊り ●竜宮小屋(7.50)−−−ヨッピ橋−−−休憩2回20分−−−与作岳(11.00-11.05)−−−コル(11.15-11.25)−−−景鶴山(12.00-12.05)−−−与作岳(12.35)−−−ヨシッ堀田代(12.50)−−−ヨッピ橋−−−竜宮小屋(14.00)・・・泊 ●竜宮小屋(6.55)−−−山の鼻(8.15)−−−鳩待峠(9.40) |
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行程 ×××× | 群馬・新潟県 | 与作岳 三等三角点 | |||||
標高2000メー トルを超えるにもかわらず、原からの標高差はわずか600メートル、まるで低山のような気やすさで目の前にあるのに、1966年自然保護のため入山禁止となって以来、登山道は跡形もなく消え去り、その山頂を極めるには猛烈な薮漕ぎを強いられることから、残雪期以外の登頂は事実上不可能となってしまった。 入山禁止となってから、当然のことながら景鶴山への登山案内、ルー ト図などは全く見当たらない。昔の資料でもないかと探してみたが、ついに見つけることができなかった。昨春、尾 瀬の山林管理をしている尾瀬林業という会社を港区芝浦に訪ねて、入山許可と登山ルートの照会をしてみたが、環境庁の許可がなければダメ、環境庁も特別な事情がない限り許可は下りないと言われてしまった。 私が景鶴山にこだわるのは、日本三百名山故であった。いつの日か日本三百名山を完登する日が来るかも知れない。しかし夏ルー トがなくて、景鶴山がその思いを遮るように立ちはだかっていた。 仕方なく地図を詳しく研究、おおよそのルートの目処をつけて単独チャレンジを決めたのだった。 残雪の山を、それもはじめて単独でルートファインデイングしながら登るには好天が絶対の条件である。 笹に赤布をつけた標識を40本準備した。 4月30日目、午前東京の自宅を出発。夜来の雨は止んでいたが、梅雨どきのように空気が湿っぽい。戸倉集落の先で鳩待峠へ通じる林道はゲートで閉ざされている。スキーをザックにつけ、重いスキー靴で鳩待峠まで10キロ、標高差500メートルの林道歩きに入った。自動車なら30分もかからないが、重荷を背負って歩くとなるとなかなか大変である。 林道の除雪は完全に終わっている。タクシー会社のマイクロバスが登山者を乗せて追い越して行った。タクシーだけ走らせてバスを運行しないのはどういう料簡だろうか。 標高が上がって行くと、両側は雪の璧になってきた。 2時間程度と見ていた林道歩きだったが、短い休憩を2回取って3時間かかって鳩待峠へ到着した。峠は粉雪が舞い、ここはまだ冬の最中だった。売店で暖かいうどんを食べ、身支度を整えて9時過ぎ出発する。 峠から山の鼻までは標高差約200メートルの下り。スキーを履いて林間を滑り降りる。先行者のシュプールを追っての滑降も最初のうちだけ、すぐに平坦となって山の鼻へとつづく。 雪原には人影もほとんど見えず、ただ白々と広がり、夏の喧騒が嘘のようだ。至仏も燧も景鶴山も厚い雲の中、原の中に立つ白樺や拠水林が唯一の景色を作っている。 今年の尾瀬は近年になく残雪が多く、池塘も1〜2メートルの 雪の下だった。東方へ向かってのスキー歩行を助けるように、西風が背中を押してくれる。足に豆ができたらしく痛んで来た。早く小屋へ入ってテープだも貼らないと明日の景鶴山登山に障る。 雪の開いた水路の小橋を2回渡ると、前方に竜宮小屋が見えて来た。山の鼻から1時間10分、午前11時でまだ時間が早く従業員以外に客はいない。昨夜の宿泊も3人だけだったという。 この小屋は30年以上昔、結婚する前に妻と尾瀬に遊んだ2日目投宿の小屋であったが、勿論その後建て変えているだろうし、記憶に残るものはなかった。 従業員に景鶴山へのルートなど、参考になることを聞かせてもらったりしてから、明日の登山に備えてルート下見のためヨッ ピ橋まで行ってみた。細かい氷雨が降っている。橋から見上げる景鶴山は7合目から上は雲の中でうかがえない。東電小屋あたりからヨサク岳、景鶴山方面へ突き上げて行く尾根を目で追う。研究した地図のイメージとうまく重なる。天気さえよければ心配ないだろう。 夕食後、水蒸気で曇る窓をぬぐって外を見ると小雪が舞っていた。 5月1日、昨日より山影ははっきりしているが、相変わらずの曇り模様、雪がちらついている。昨夜の雪がまた新しく雪原をうっすらと覆っていた。 竜宮小屋7時50分、シールをつけて出発。小雪、ヨサク岳から景鶴山にかけての山頂部は雲で見えない。小屋から右手の拠水林に沿って雪原を北西の方角へ進む。15分も歩くと前方のヨッピ川拠水林の木立の中に、吊橋の吊り柱が見えて来るので、それを目標に真っすぐ進む。橋まではゆっくり歩いて小屋から20〜25分程度の距離。 吊り橋は冬の間踏み板が外されているが、もう取り付けられていた。このあたり(橋の手前と、橋を渡った先の東電小屋方向へ少し寄ったところ)に登山道標があるが、標柱の頭だけしか出ていない。 吊り橋を渡ってすぐ、右手のヨシッ堀田代の中を東方へ横断して行く。ガスっていなければ東電小屋が見えるので、おおよそその方向へ10分ほど進む。東電小屋まで行かずに、その手前200メートルほどのところで田代を横断しきって、2万5千図の新潟、群馬の県界線と歩道破線の交わるあたりで登り易そうな山腹に取り付く。最初は薮が多少邪魔になるので、それを避けながら小さくキックターンを4〜5回繰り返すと、樹間の開いた斜面になって歩き易くなる。 笹山(1537メートルピーク)は直登せず、ピークの西側を巻くよ うにして1500メートルの小コルを目指す。コルまで来るとすでに原が眼下である。赤布をつけた笹をどこかに落としたらしい。曇ってはいるがまずまずの視界で、赤布は不要と思われたが、天侯の急変に備えて別に持っていた赤布を枝に結びつけて行く。 1653メートルピークの手前までは、比較的斜度も緩く直登、斜登行で行くが、ピーク直前は小刻みにキックターンを繰り返す。最後は階段登行でピーク直下まで登ってからピークは西側を巻いて越える。限下に尾瀬ケ原が広がり、東電小屋や温泉小屋も見える。 ここまでほとんど真北に向かって来たが、1653メートルピークの先から、左に景鶴山を目で確認して向きをやや西に振る。樹相はいつかブナからシラビソに変わっている。尾根が広くなってくるが、方角を誤らないようシラビソの間を縫って行く。平坦や小さな急登を繰り返す。
きつい傾斜を登り終わって、気持ち良い斜面をシールを利かせて円を描くように方向を西へ振って行くと、シラビソの矮樹が点在する円頂のヨサク岳1933メートルである。 遮られいていた北方の残雪の山が視界に入って来た。目の前の平ケ岳には残念ながら雲がまといついている。東電小屋近くの山腹に取り付いてから2時間30分、 ここまでくればもう景鶴山へ登ったも同然、ほっとした気分になる。 手の届きそうな景鶴山は、尾瀬ケ原からの姿とは似ても似つかぬ美しい三角錐で、その存在を主張していた。 ヨサク岳山頂の西端にスキー・ザックをデポして、坪足で景鶴山へ向かった。 至仏山や燧ケ岳は相変わらず雲の中である。心なしかガスが徐々に迫って来るように見える。急がなくてはならない。 景鶴山手前のコルまでは70メートル下って140メートル登り返す。往復1時間もかからないだろう。コルからヨサク沢の雪渓は亀裂が広がって、今にも雪崩れそうな不気味さがある。 コルからすぐ先の肩で気合をいれて、最後の三角錐の登りを攀じる。クラストした雪にスリップを注意しながら一汗かくと山頂だった。 一部岩の露出した山頂はガスって寒い。帰路、ガスに巻かれる不安からすぐに下山にかかる。登り以上にスリップに注意して肩まで戻ると、ようやく緊張が解けて安堵感と、難しい山を一つ踏破できた満足感が広がった。 スキーデポ地点まで戻ると、急に雲が切れはじめて青空が覗いて来た。再び景鶴山が姿を現し、至仏山も山頂部の雲が取れようとしていた。 帰路は登りのスキー跡をたどって樹間を快適に滑って、あっと言う間にヨシッ掘田代に降り立った。2時間30分かかった登りを、わずか20分そこそこで滑り降りてしまった。 振り仰ぐとヨサク岳山頂に雲がかかっていたが、景鶴山は見事にその姿を現していた。 5月2日、 一夜明けると再び天気は崩れていた。強風に小雪がまじり、いかにも寒々しい。昨日の好天に改めて感謝する。 竜宮小屋の主に「目的の山に登れてよかったですね、また花の時期にでも来てください」と見送られて小屋を後にした。 足じゅう豆だらけにして辛いスキー歩行である。特に前脛が靴のベロにあたってその痛みがきつい。ザックの中のジョギングシューズに履き変えたい思いに駆られながら、痛みを堪えて山の鼻へ向かう。以前の双六岳スキー登山でさえ、こんなことはなかった。足をかばうように小幅に一歩々々刻んで歩いた。 山の鼻へはようやくたどり着いたという思いだった。 風も雪も強くなって来た。 これから鳩待峠まで1時間20分の登りが待っている。泣きたい気持ちで、いや半ベソをかきながらのろのろと足を運んだ。空はいよいよ本格的な荒れ模様を呈して来た。まだかまだかの思いに駆られながら、目を上げると峠の建物が見えたときの嬉しさは、言い表すことができない。 峠には今日からの道路開通に合わせて、マイカーで訪れた観光客が雪の中で震えていた。食堂に入ってスキー靴を脱ぐと、まるで天国にでも登ったような解放感があった。まるで自分の足ではないような気持ち良さ、これなら今から50キロでも100キロでも歩けそうだった。 運行の始まったバスに乗って戸倉まで下り、マイカーに乗り 換えて帰途に着いた。 (この日、寒波の襲来で各地の山岳で遭難事故が続発した。一日だけの好天に恵まれ、登頂を果たせたのは大変ラッキーだった) |
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19995.05.05 『景鶴山日帰り山行』はこちらをごらんください |