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≪尾瀬をめぐる山行≫

1988.07.10 熊沢田代から燧ケ岳へ
1988.07.31 至仏山から尾瀬ケ原へ
1993.05.01 山スキー 尾瀬ケ原から景鶴山へ
1995.05.03 残雪期の尾瀬ケ原と景鶴山へ
199509.23 熊沢田代→燧ケ岳→三条の滝→燧裏林道
1996.05.11 残雪期の尾瀬沼へ
1996.06.27 菖蒲平から尾瀬ケ原へ

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尾瀬沼

群馬・福島 1996.5.11 単独行
コース 大清水(7.25)−−−−−−尾瀬沼(9.10-9.30)−−−登山道入口(10.20)−−−大清水(11.05)
尾瀬ケ原沼から燧ケ岳
 当初の予定は鳩待峠から笠ケ岳を往復するつもりだった。
渓流釣りの長男と同乗、片品村戸倉ロへ。鳩待峠への車道は開通したものと思っていたのに、予想外にゲートは施錠されている。開く当てもないと思われるゲートの前で、数台の自動車が待機している。「ゲートは開くのでしょうか」と尋ねたが、開くという情報を得て待っているのではないらしい。ではなぜ待っているのか、何ともわからない話であった。
 片品川で釣りを楽しむ長男は釣りさえできればいいとして、山へ登れない私は困ったものだ。何か情報が取れないものかと、バス案内所へ行ってみた。例年だと5月初めから運行されるバスだが、案内所には人気もない。窓ガラスに『除雪作業が終わらないので、5月2日運行予定を5月24日まで延期する』との告示だ。
 以前、山スキーをかついで鳩待峠まで歩いたことはあるが、今日は3時間近くもかけて鳩待峠まで歩くつもりはない。早起きして3時間も要して来たのに残念・・・・・
 長男の釣りは、もう少し上流でもかまわないらしい。それならと大清水まで行って、そこから尾瀬沼を往復するのもまたいいではないか。それこそ40年近い昔、三平峠を越えて尾瀬へ初めて入った日のことでも思い出しながら、懐古の山歩きと洒落てもいい。

大清水はまだまだら模様に雪を残し、ことに渓流の河床付近には大量の雪が河原を埋めていた。観光客の姿がちらほら見えるばかりで、静けさを保ったいた。
雪解け水の湿地には、水芭蕉が楚々として咲いている。

釣りの長男と別れて三平峠経由、尾瀬沼へと向かった。
40年も昔のこととて、記憶に残るものは何ひとつない。ましてや、あのときは独身だった妻や友人と、四囲真っ暗やみの真夜中に歩いた道
だった。
しばらくは両側に雪の残った林道をたどって行く。小鳥のさえずりが谷川の流れに和して、春浅い自然の雰囲気を感じさせてくれる。
そういえば途中、集落には桜の花が満開だった。今年はずいぶん桜の花を楽しんだ。4月上旬東京千鳥ガ渕からはじまり、ゴールデンウィ
ークには白川郷など奥美濃、そして5月中旬はこうして片品村の桜とつづいた。

尾瀬沼へ行く人たちだろうか、ハイキング姿の人をときどき見かける。
雪崩で倒された道標に導かれて、林道から登山道へ入った。もちろん登山道は深い雪の下に隠れされている。ゴールデンウィークに多くの登山者が踏み固めてくれたコースは、苦もなく歩ける。
渓流沿いにゆっくりと登って行く。尾瀬沼まではこんなものだろうと、ピクニック気分で足を進めると、やがて勾配が急になってきて、たちまち額から汗が流れ落ちる。
じぐざぐを切りながら、ひとしきり急登を喘ぐと、稜線上の高みに立った。樹木の聞から燧ケ岳が姿をあらわした。

コースは平坦となり、樹間を縫うようにして尾瀬沼へと延びている。樹木の枝には赤布が間断なくついている。
どこが三平峠だったのか、知らぬ問に過ぎて目前に尾瀬沼が見えて来た。白一色、沼とは思えない雪原を見下ろすような単調さで広がってい
た。しかしその単調さを救うように、沼の背後には燧ケ岳がきれいな姿で聳えている。
40年前、朝霧の漂う尾瀬沼を目にして、感激を覚えたのは多分このあたりだろう。6月上旬のことだった。あのとき沼には水芭蕉が咲き競っていた。

沼までは雪を蹴散らすように、一気に駆け降りた。沼畔の山小屋では、建物を雪から掘り起こす作業が始まり、何人もの人々が汗を流していた。
沼畔に降りて、ビューポイントを探しながら、燧ケ岳の写真を10数枚撮影。裏返したボートに座ってしばらくの休憩を取ったあと、長男との約束の時間もあり、同じコースを大清水へ引き返した。
釣果のない長男もすで川から上がって待っていた。
 
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