UNCLEおじさんの言いたい放題

差別

 こんにちわ、梅雨だというのに暑い日が何日も続いたりとあいかわらずの異常気象ですが、皆さんも体調を崩さぬよう気をつけて。
 梅雨が終われば私の一番好きな夏が来ます。先日の沖縄音楽祭でも日程最終日に無人島でシュノーケリングをしてきました。
 今年の夏は暑くなりそうなので今から楽しみです。最近気になると言うか、だいぶ前からそうなんでし ょうけど和製英語と化した言葉の発音がちょっと気になります。
 たとえば「ツアー」、最近の使われ方はアーチストのコンサートツアーを差しますが、英語では「ツ」にアクセントがあるのにみんな口にするのは「ア」にアクセントをつけた発音。
 こう書くとうるさいおやじみたいですけど・・・
 気になるのはそれがいい悪いではなく、というよりももはや和製英語化しているし、若者の「既成ではいやだ」という個性の現れだと思っていますが、オリジナルを知った上での自分なりの個性ならともかく段々それが若年層にまで広がり、それが正しい発音だと錯覚してしまうのではあまりに情けないですね。
 さて今回は先日仕事絡みで同和研修を浮け、認識を新たにしたことをぐっと真面目に・・・
 同和(どうわ)は辞書によると、同胞一和・同胞融和の意。同和教育・同和問題など、被差別部落の解放に関する事項について用いられる。と書いてあります。
 まず一般の差別と部落差別とはどう違うのか。
 一般の差別は目に見える事柄、たとえば身体に障害があるとか、貧富の差、肌の色の違い等を取り上げて差別するものです。
 もちろん正当性はなく謂れの無い事ではあります。
 そに対しての部落差別は謂れの無い事はもちろん、見た目にも何等違いのあるものではありません。
 つまりその昔意図的に作られた差別だった訳です。
 時の権力者が民を支配する方法として江戸時代には士農工商という身分制度をつくりましたが、そのままでは一番下の階級の不満はたまる一方でいつ爆発するかわからない。
 そこで一番下のまた下の階級をつくりガス抜きをしたのではないかと私は思っています。
 江戸時代以前にもそういうことがあったらしいですけど目的は同じようなものでしょう。
 前にも書いたとおり、部落差別には見た目差別する材料は何もありませんから木綿の着物しか着てはいけない、とか雨の日に下駄を履かず素足で外を歩け、とか命令して見た目の区別をした訳です。
 こういうところから逆に考えると、とどのつまり部落差別は謂れの無いものであることがよくわかるでしょう。
 私の子供も等は学校教育や現在ではあからさまな差別を目の辺りにしていないせいかもう同和教育は必要ない、とか言っていますが部落差別に限らず、差別の現実というものをもっと学ばなければならないでしょうね。
 そして日常のあらゆる差別に気づく心を養い、それを指摘し、自分だけでなく地域や社会で日常化し、差別のないことが常識となるような社会をつくっていければ差別を根絶できるでしょうね。
バックナンバー
5月号| 6月号| 7月号| 8月号| 9月号| 10月号| 11月号| 12月号| 1月号| 2月号| 3月号| 4月号| 5月号| 6月号
Copyright(C)1966-2000 日本音楽協議会, All rightsreserved.
Host: Takashi Yoshida(UNCLE)
Webmaster: Takashi Yoshida(UNCLE)