UNCLEおじさんの言いたい放題

たまには映画でも

 寒いとまるで元気のない私ですがようやく冬眠からさめてしこしこ活動し始めています。
 今年は音楽祭も4月ということでいつもより忙しくなるのが早そう。
 今回は冬眠中に見た映画について、といっても劇場ではなくテレビ放映ですが「シンドラーのリスト」という映画について。
 もちろん何年か前に劇場でも見たのですが、その時はユダヤ人虐殺の衝撃的な場面ばかりが目につきそれだけで終わってしまった印象でした。
 今回放映だけでなくビデオに録画してあらためて何回か見たところ私なりに感じたことがあったので少し書いて見ます。
 あらすじはシンドラーというドイツ人が結果的に千五百人ものユダヤ人をナチスの虐殺から救ったというものですが、当初シンドラーは政治的意味でユダヤ人救済を考えたわけではなく自分の経営する工場の人手としてユダヤ人強制労働を利用していた訳です。
 これは最後にドイツが戦争に負け、ユダヤ人を解放する時に言った言葉の中にも明らかでナチスと組んでユダヤ人を強制労働させた私は戦争にまけた今ひょっとしたら戦犯として裁かれるかも知れないと語ったこでもわかります。
 最初は自分の工場の利益のためだったのが結果としてユダヤ人を生き延びさせることになり、途中からは工場のためでなく何人のユダヤ人を救えるかという目的に変化していきます。
 シンドラーの工場はもともと鍋釜等を扱っていた工場だったのですが、戦争が激しくなるにつれいわゆる軍需産業への転換を余儀なくされていきますが、ポーランドに工場を移し、兵器を生産するようになってからはわざと不良品をつくったり他の業者から製品を買って納めたり、自分の工場では一切兵器をつくらず終戦まで時間稼ぎをしていました。
 ユダヤ人の救いかたも専ら収容所の将校へのワイロばかりで人種差別とか、反戦を大上段にかかげたものではありません。
 また、本人の性格も酒好き、女好きでユダヤ人女性を囲ったり、と不真面目きわまりなく、生活もユダヤ人とは全く別に資産をふんだんに使ったかなり贅沢なものでした。
 最後に工場を閉鎖し、シンドラーが出ていくときにユダヤ人の前で「この車であと何人のユダヤ人を救えたことか、この指輪で少なくともあと二人のユダヤ人を救えたのに私はやらなかった。申し訳ない」と泣き出す場面がありますが、ここはかなり感動しました。
 全く同じ生き方をしているとはおこがましいですが少なくとも私の理想とする生き方とかなり近いものがあります。
 救うべき相手と同じ次点に立って抵抗していく、というのは崇高なことで立派ですが、実質的な結果を考えた場合、シンドラーのようなやり方もありというか私は好きです。
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